小林秀雄の古典論

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宮川俊朗のブログ
小林秀雄雑感 2
2018.09.27
カテゴリカテゴリ未分類 (665)

無常といふ事

小林秀雄は戦火が激しくなる、昭和17年より、「無常といふ事」を書き綴った。日本の古典の中でも、平家物語西行徒然草、実朝と、戦争前後に綴られた作品を通して、のっぴきならない「生と死」を静かに見詰めている。

昭和17年より創作開始の「無常といふ事」では、冒頭に一言芳談集からの一文を引用している。

あるひとが言うには、比叡の御社にいつわりて神薙(かんなぎ)の真似をしたなま女房が夜更けて 人が鎮まりた後、

とうていとうていと鼓(つつみ)を打ちて心澄ました声で

「とてもかくても」

なうなうと歌った。

 その心を人に問われて

「生死無常有様を思うと、この世の事はとてもかくても候。どうか後世を助けて下さい。」

と申すのだと語っている。

「この名文は吉田兼好も愛読していたらしく、なま女房は生きている人間として、無常をしっかりとらえている。」

小林秀雄は想像する。

平家物語」の冒頭も

祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり

と無常観を物語のキーワードに冠することを示唆している。

源氏物語」の全体を流れる調べは、もののあはれであり、現存する高貴な方も、岩の如く強固に見える人も、はかなきあはれと化すのは時間の問題である。ただしあはれとなっても、歴史として思い出に生きる、活かすのは人間の力だ。

 私の意訳は、「無常といふ事」の本文から飛び跳ねているかもしれないが、

「無常を見据えて生きるのは価値があり、意味深い。ありがたい価値と意味の積み重ねが歴史であり、生き甲斐の源だ。」

小林秀雄は説いているように伺える。

 この思索の歩みも、一歩誤れば、虚無のニヒリズムへと落ち込んでしまう。また「無常を悟ったぞ。」と豪語したところで、屁の突っ張りにもなりやしない。

 いわば風前に灯をともしつつ、一歩一歩進む。武士や商人の眼前には、戦いや商いと言ったのっぴきならぬ本業があるが、西行や実朝はまさに詩人として無常に直面し対話を重ね、そこで感じ得たものをつれづれの和歌に歌う。

 言葉に歌うより生きる道はなく、片や出家し、片や征夷大将軍の位を心で捨てて、無常が立ち込める世界に入り、精一杯に歌を詠む。

 兼好は徹底した隠遁者として有名だが、実社会と、純粋な無常の世界とは往たり来たりする。座禅を組み、念仏を唱えるより祭りに詣で、仁和寺にも再々顔を出し、トップニュースを仕入れては我が庵で深く楽しい思索に耽る。

 徒然草の四十段に

因幡の国に、何とか言う入道の娘が容美しいと聞いて、人数多くに言い渡ったが、この娘、唯栗だけを食べて米の類を食べなかったので、このような異様な娘は人に魅せるべきものではないと言って、親は結婚を許さなかった。」

という話について、小林秀雄は珍談ではなく、

「兼好がどんなに沢山の事を言わずに我慢していただろう。」

と想像の羽を広げる。

 私は読書好きの友と、この四十段について語りあったことが二度ある。

 どうして娘さんは栗ばかり食べるようになったのかしら。

 お父さんか、お母さんが大変な栗好きで、故郷に大きな栗山を持っていたのだろう。

「栗が大好き」は、きっとお母さんの方で、見目麗しき美女をめとるまで幸せだったが、ろくに料理をつくらないばかりか、食事のおかずは栗ばかりとなる。栗がなくなりかけては里帰りをし、栗が取れるまで帰って来ないようになる。

 娘は大きくなるとお母さんそっくりに麗しく、しかも大の栗好きとなった。もしお嫁に行けば、栗を欲しがり、妻の里まで頂きに行かねばならなくなる。

 これではご主人も嫌気がさすのは目に見えている。

 だったら大きな栗山を持った男と結婚させたら良い

等々、友だちと語り合った。

 徒然草には、それからの答えは書かれていない。

 あれやこれやと、物語の可能性を思い巡らす内に、はかなさ、虚しさで一色に見える無常の世に、一筋の光が差す。

私は「無常といふ事」での「徒然草」の段を再読し、僅か五ページの小品ながら、目がなかなか先に進まないのを覚えた。

「本は余り速く読んでも、遅くてもわからない。」

と「スピードの適正さ」を説くパスカルを思い出すとともに、小林秀雄徒然草を何度も繰り返し愛読しながら、相当の時間を掛けて文章を綴り、枝葉を切り裂き、肉付けをしたのだろうと推察した。

 西行の本名は佐藤義清(さとうのりまさ)で、鳥羽院北面武士として奉仕していたが、23歳で出家する。鎌倉に赴いた時は、征夷大将軍源頼朝に謁見し、歓談している。

 西行は無常と向き合い、生きる喜びやありがたさ、そしてはかなさを吟じた。詩人は人生の骨格たる「生と死」を見詰め、触れ、味わいながら創作する。古典に生きる詩人はあまたいるが、小林秀雄西行と実朝に心の焦点を当てたのは、戦乱が広がる中、地獄と極楽を逃げる事なく突き進む姿を発見したからであろうか。

西行は大歩行家だ。でなければあんな遠くへ進めやしない。」

と感服している。

 30.9.17 楽天ブログ

三度に亘り執筆した「ランボウ論」では、

「ランボウは千里眼で、言葉の錬金術師だ。

世界の一大歩行家は病に侵された足を切断し、肉親に見守られた。」

と半生を要約している。

 小林秀雄は、歩くのを好み大事にした。一作、一作を丹念に読み進める事は、作者の魂まで歩く事を意味し、できるだけ原書に触れようと努めた。

「本は読むものではなく、眺めるものだ。」

とは、一見逆説だが、精読した本を一旦、側に置き、兼好法師のように硯に墨を擦りながら、心に浮かぶよしなし事を綴った肉筆が批評文になったのであろう。

モーツアルト」は「母の霊に捧ぐ」と序文を添える。

昭和17年40歳より構想を暖め、昭和21年12月に発表した。この一作だけで、並みいる音楽評論家たちと肩を並べる教養と知識、それに感動から得た楽しい想像と言う付加価値が創作活動に合流する。

 モーツアルトの愛聴者ではアインシュタインが有名だ。

「私はメモを取らない。取るべき閃きは滅多に起こらないからだ。」

と謙遜するが、「アイネクライネ・ナハトムジーク」ヤ「ジュピター」を聴きながら、相対性理論を感動の相乗効果で練り上げたのだろうか。

 小林秀雄は巷を歩いていても、突如としてモーツアルトの39番「悲しみのシンフォニー」や41番「ジュピター」が鳴り響くと言う。昭和21年8月、国鉄水道橋駅のプラットホームから転落事故を起こしたのも、頭はモーツアルトで一杯となり、柵のありなしには目の関心が及ばなかった。

 もっともこの年6月に。「新日本文学」誌上で、戦争責任者に指名され、8月31日付で明治大学教授を辞任する。

「私は馬鹿だから、反省しない。」

とその頃、広言し物議を醸し出す。

 馬鹿とは小賢しく立ち回ろうとするインテリたちへの反語であり、強い意志による開き直りでもある。

 政治とイデオロギー、国家、戦争と戦死等に関する批評文は、昭和20年代に多く書かれ、苦悩と懺悔、克服への意志は、読む者に鬼気迫る。

「考へるヒント」の「踊り」では沖縄戦についての記述や「ヒットラーと悪魔」では、考え書いて立ち直ろうと努め、再びきつく挫折するという血みどろの試行錯誤だ。

「人形」では、東京から大阪行きの特急列車で、食堂車での体験記である。老夫婦がテーブルの向こうに座り、母親は軍服を着た人形に語り掛けながら、スープを飲ませる。

 明らかに子供を戦場で失っているのが伺える。

 筆者小林秀雄は黙って食事を勧める。想像の歯車は大車輪で、三人のテーブルに若い女性が座るというストーリーは、傷心の生き様が生々しい。

 傷心は小林秀雄の気持ちでもある。

 昭和40年3月、長女・明子(はるこ)さんが、白洲兼正さんと結婚される。白洲兼正さんは白洲次郎さんと正子さんの次男である。

 白洲次郎さんは吉田茂首相のブレインとして、駐留アメリカ軍と交渉し、サンフランシスコ講和条約締結や国連復帰など、日本の戦後復興に多大な寄与を果たす。

 白洲正子さんは、日本の芸術、文化に造詣が深く、

「琵琶湖からの自然は絶景である。」

などと名随筆を残す。

 小林秀雄が名伯楽として、芸術談義に花を開かせたであろう事は、想像するに難くないが、日本復興にかける思いを、白洲次郎さんと熱っぽく語り合い、推進した事は、確固たる記録こそないが、思索の軌跡からも読み取れる。

 昭和40年12月、孫信哉君が生まれる。その2年後、自宅で手を取り合いながら歩く姿は、幸せ一杯でほほえましい。

 ちなみに白洲信哉さんは、「小林秀雄の絵画」を、写真とともに随筆している。この本は版を重ね、私の近くにある市立図書館にも収められているが、画家の心を求める批評家が、デッサンを明るく伸びやかに言葉で描く感が強く、多くの市民が借り出し、熱心に読んでいる軌跡が伺える。

 小林秀雄は物事への集中力と根気が強く、一旦、興味を抱けばとことんまで追求し、他へは眼をくれない。

ゴッホの手紙」は壮年時代の傑作であり、ゴッホの力作と、弟テオに宛てた手紙をもとに、ゴッホの神髄に迫るとともに、ゴッホを通し、美を探求する己と向き合う格闘劇だ。

 昭和23年の暮れ、宇野千代さんから贈られた「烏のいる麦畑」(複製)を観る小林秀雄の写真は、神妙に喜々として思索の畑を歩いているように見える。

「近代絵画」は、「ゴッホの手紙」と並行し想いを巡らせた、いわば副産物である。いずれの作品が副産物かは不明だが、」「近代絵画」の中から、炎の画家・ゴッホをとりわけお気に入りで選抜したとも言える。

「近代絵画」では第1章に、詩人ボードレールを取り上げたのは、印象批評の開拓者として、小林秀雄が畏敬する賜物である。

 その前段に、同じフランス人のパスカル先生が登場し

「人は現物には目もくれず、それを模した絵画になると、なぜ目を白黒させて感心するのだろうか。」

と芸術尊重主義に注意を促す。

 この警句は

「人はなぜ絵を描くのか?」

との疑問にまで飛躍しそうであるが、小林秀雄は変化球の問いにはサラリと答えつつ、近代絵画から受ける喜怒哀楽にアクセントを加えつつ、リズミカルな調子で愉しさを伝えている。

 近代画家たちの創作における、難渋な苦悩を伝えつつ、作品から受ける印象の基調は明るい幸福三昧だ。美術館や絵画展に何度、浮き浮きと足を運ばれたことであろう。

 しばしば同級生の今日出美さんと海外でのツーショットを拝見するが、憧れの美術館を巡る高揚した気分が伝わって来る。

 ゴヤの傑作「裸のマハ」には、興味も一入(ひとしお)で、大事に展示しているスペイン・プラド美術館へは五度も足を運んでいる。

「素顔のマハ」と比較しながら観たそうだが、この二作だけで丸一日つぶし、翌日もまた集中して観られたのではないか。

 一時期、フランスの画家ルオーに魂を奪われんばかりに熱中した折は、ルオーのアトリエを訪ねた。芸術の教えを乞いつつフランス語で歓談し、ルオーが愛用していたパレットをプレゼントに頂く。このパレットを背に映る顔は、嬉しさ一杯の童顔だ。

 晩年、病に伏した折、セザンヌの「森」を一日中、見詰め続け

「魂が絵に吸い取られるのではないかしら?」

と看病の喜代美さんをハラハラさせた。

 30.9.⒙ 楽天ブログ 

小林秀雄が批評道の理想とした「無私の精神」とは、エゴや固定観念をできるだけ排除し、乗り越えるとともに童心に戻る事ではないか。

無常、無私と無の漢字を好んだが、目に見える事物から枝葉を削ぎ落とし、本質に迫ろうとする挑戦であり、実験だ。

昭和28年1月、フランスのオーヴェルにあるゴッホの墓に詣でた時は、VINCENT VAN GOGH(1853-1890)と刻まれた石碑の後で、分厚いコートを着て、まるで義経を守る弁慶に似たいかつい姿で立っておられる。

ご本人の墓石は、鎌倉時代の初期に創られた五重塔で、戦後、関西の骨董屋で見付け、久しく自宅の庭に据えていた。余りに早々とした準備だが、昭和17年、「無常といふ事」を執筆中に想を得たのかもしれない。なおこの年の9月に胃潰瘍のため入院されている。

五重塔を買い求めてからの思索力はすごいが、師と仰ぐ志賀直哉が、自らの骨壺とすべき陶器をしばしば、手に取って眺めていた。名人たちは無常と言う難敵に対しても、とことん思い、考えて行動する。 行動してから、更に思考を重ねる。

「考へるヒント」の執筆前後より、筆使いが優しく柔らかになる。内容はあくまで厳しく真剣であるが、お客さまたる読者が、わかりやすく読み易いようにとの配慮から、丁寧に言葉を選ぶ。「考へるヒント」は以心伝心に、小林秀雄としては初めてのベストセラーとなるが、それでも中身をピックアップして大学入試問題に出されると、「難問中の難問」として、受験生ばかりか先生方からも眉をひそめられる。

 私は転校した新宿高校を卒業後、文学部を志望し予備校に通っていたが、現代国語の細切れ問題の氾濫に目移りして、的を絞る事ができなかった。

 初秋、新宿高校で国語を教えて頂いた中野博之先生に相談すると

「良かったら、我が家に来なさい。」

と、快諾してくださった。

 荻窪駅より閑静な住宅街への道は、樹々が多く、夜のためか空気がひんやりしていた。

 中野先生は東大文学部フランス学科の卒業で、演劇の脚本家を目指しておられたが、高校教師に転じた。教科書の編纂に尽力し、定年後は予備校教師として、入試問題の即日模範解答を新聞等に掲載した。古典ばかりか、現代国語の問題を解答し、誰からの出典ということについては第一人者であった。古今東西の幅広い読書量がなせるわざで、現代文学にも造詣が深い。

 先生宅の玄関横には、岩波書店の古典文学全集がずらりと並んでいたが、ご馳走の夕食を頂いた後に

「この本はおもしろいよ。」

と貸してくださったのが、「考へるヒント」であった。

 それ以上の注釈は言われなかった。

 私は歴史の年号や英単語を覚えるのに忙しく、「考へるヒント」は机の棚に積んだままであった。

 昭和43年当時の受験生は、文科系でも理科系でも数Ⅰ、Ⅱと理科の一科目が必修で、記憶すべき参考書を床から積み上げると背丈を超えるほどだった。

 私のライバルは、参考書をカバンに持ち歩いていたので

「おかげで握力がついたよ。」

と妙な自慢をしていた。

「考へるヒント」に、「美術館のジレンマ」を見付けたのは後日だ。

例えばゴッホの「ひまわり」を観たくて美術館へ行くと、セザンヌもあればゴーギャンの絵も飾ってある。そこで時間に余裕のあるお金持ちは、ゴッホの絵を本格的に観ようとオランダに渡り、ゴッホ美術館で堪能できる。

庶民は「ゴッホ展」の到来を何年も待ち望み、その日を待つ。作品を画集のように時系列的に並べて欲しいのは山々だが、会場スペースのためか、あるいは有名順のためか、並べ方は観覧者にとってはアットランダムに近い。「ひまわり」があれば、「糸杉」もあり、例の烏も出て来る段取りで、観覧者はどのようにゴッホを捉え、感動したら良いのか、ジレンマに囚われる。

展覧会は主催者の意図により、しかも芸術的な志向を凝らした展示となるため、観覧者はまず、その志向を見抜き、理解することから始めなければいけない。そこにゴッホはいるのに、とてもゴッホの眼、そして心に辿り付けない。やっと着いても、押すな押すなの狭き場所で、ミックス展示会の場合、すぐ横には渋く重厚なセザンヌの眼が光る。

音楽会でも同じ傾向があり、曲目はモーツアルトの次はベートーベンで、同じ古典音楽の系列だから良いとして、突然シェーンベルクから再びシューベルトの楽曲に戻れば、観客はどう感動し、楽しんだら良いのだろう。

それぞれに1曲、1曲を楽しめば良いのさ。

シューンベルクばかり、立て続けに演奏するプログラムだと、お客さまは余り集まらず、演奏家たちの家計に響く。

 

芸術対象へのジレンマは、フランスの文化相を務めた、マルローの「空想美術館」にまで及ぶが、実は小林秀雄が永年、悩み考えたテーマであり、その課程で得たものは、克服すべき「考えるヒント」であった。批評すべき対象の書籍や絵画、音楽を抱えながら、歩く。印象、感動を何より大事にする詩人は、膨大な対象群に目がくらみつつ、一つ一つを楽しみ、こなしていく。

何もかも整然と克服することは所詮、無理だ。こちらは無私に徹し、ジレンマを受け入れる事から始めたらどうか。

ジレンマ、ジレンマと大問題に考える自分の意識こそ、何だろうと考えてみよう。

悩んでも、明るく考えるのが人間だよ。

私なりに意訳し過ぎているが、後生大事とジレンマの渦に留まっているのでは、亀の子にいつまでも追いつけないアシルと同じ状態だ。

「人は現物や自分自身をしっかり観ないで、絵ばかり見たがる。」

と警告するパスカルの皮肉が、またもや顔を出す。

 振り返れば、恩師・中野博之先生は、職業としての国語教師と演劇脚本家を願望する気持ちとの葛藤に揺れていたのだろう。「考へるヒント」を読み、活路を発見した直後に、私がジレンマの質問を発したのかもしれない。



 




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