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小林秀雄マルクス(2020=12)

小林秀雄マルクスというテーマで、長々と連載を続けてきたが、そろそろ終わりにしようかと思っている。

私は、マルクスエンゲルスの差異、あるいはマルクスマルクス主義の差異について、多くのページをさいてきた。そこで、私は、一貫して、「エンゲルス的思考」や「マルクス主義的思考」に対して否定的であった。それは、私が、小林秀雄にならって、マルクスを、つまりマルクス的思考の重要性を力説し強調してきたからだ。しかし、言うまでもなく、思想や哲学としてのマルクス主義の、異常な「流行」と「伝搬」、そしてその「影響力」は、マルクスと言うよりもマルクス主義によるものだった。つまり、マルクスの「影響力」は、マルクス個人の思考にとどまらずに、エンゲルスレーニンなどによって作り上げられた「マルクス主義」という思想によるものだっったからだ。私が、小林秀雄を参考に、繰り返し強調してきたマルクス的思考の復権は、重要であることはもちろんだが、それだけでは、マルクスマルクス主義を語り、論じる上では、やはり不充分だろうと思う。マルクス主義の神髄の大部分は、やはり「マルクス主義」にあるからだ。つまり、「唯物史観」や「弁証法唯物論」、あるいは「人類の歴史は階級闘争の歴史であった」という階級闘争史観、「国家の死滅」を唱えるマルクス主義国家論、革命闘争という実践活動を要請する「革命論」、あるいは「ロシア革命」に象徴される具体的な「共産主義国家の誕生」という歴史的な現実・・・にあるからだ。
小林秀雄だって、そのことが分かっていなかったわけではない。そもそも、小林秀雄マルクス主義という思想と論争・対決することになったのは、マルクス主義という思想に驚異と脅威を感じたからである。

廣松渉は、マルクス主義的な「唯物史観」の誕生は、『ドイツ・イデオロギー』における原稿の筆跡などの分析から、マルクス主導ではなくエンゲルス主導で作り上げられたのではないかと言うが、おそらくそうだったに違いない。われわれが、現在、マルクス主義として理解しているものの多くは、「エンゲルス主義」とでも言うべきものなのであろう。

あらゆる思想は、理論化され、体系化・公式化されることによって普及・発展、そして、やがて堕落・衰退するという宿命をまぬがれない。「エンゲルス主義としてのマルクス主義」もまたそうだったといっていい。言い換えれば、マルクス的思考は、あくまでもマルクスの個人的な思考であったが、「マルクス主義」という思想への萌芽と可能性を秘めていたということでもあろう。「そういう可能性」とは、「あらゆる思想は、理論化され、体系化・公式化されることによって普及・発展、そして、やがて堕落・衰退するという宿命」のことである。そして、そういう思想や哲学は、単なる思想や哲学にとどまらず、つまり教養や知識、あるいは娯楽や趣味にとどまらず、実践活動や革命活動、そして究極的には「死」を要求する。私は、「死」を要求しない思想はニセモノだと思う。その意味で、マルクス主義という思想もニセモノではない。たとえばロシア革命の歴史を振り返るまでもなく、マルクス主義の名の下に死んでいった人間は、膨大である。机上の空論として、あるいは知識や教養としてのマルクス主義も無数にあるだろうが、マルクス主義という思想・イデオロギーは、他のどんな思想・イデオロギーにも劣らない「死」や「死者」を生み出している。

私は、今、明治維新という革命運動を、西郷隆盛西郷南洲)を中心にして描く『南洲伝』というものを書いているが、「明治維新の志士たち」の多くも、明治維新という革命運動を「死」を賭けて闘い、その闘いの現場で、命を投げ出している。「生き残った者」や「成功者」だけが歴史を作ったわけではない。むしろ、私は、「生き残った者」や「成功者」には、何か不純なもの、いかがわしいものを感じる。偉大な思想は「死」を要求する。言い換えれば、「死」を要求しない思想はホンモノではない。私は、今、マルクスマルクス主義と直結するロシア革命というものと、明治維新というものを、同列に、等価なものとして描いているが、「思想に命を賭ける」という意味で、私の中では、ロシア革命明治維新も「等価」なのだ。

小林秀雄は、「トルストイの家出・野垂れ死」問題を論じた『思想と実生活』『文学者の思想と実生活』という小論文で、「思想」の重大さについて論じている。これは、作家の正宗白鳥との論争の過程で書いたもので、かなり激しい口調で「実生活」を強調し、「思想」なるものを軽視する正宗白鳥に対して、小林秀雄も負けず劣らずの激しい口調で、「思想」なるもの重要性を擁護している。マルクス主義という思想批判を繰り返してきた小林秀雄という観点から、つまりそういう先入見から見るるならば、やや矛盾しているようにも見えるが、小林秀雄の真意は、何処にあったのだろうか。

《「ああ、わが敬愛するトルストイ翁!貴方は果たして山の神なんかを恐れたか。僕は信じない。彼は確かに恐れた、日記を読んでみよ。そんな言葉を僕は信じないのである。彼の心が、『人生に対する抽象的煩悶』で燃えていなかったならば、恐らく彼は山の神を恐れる要もなかったであろう」、「あらゆる思想は実生活から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか」。以上の文を、正宗氏は僕の文から引用し、必ずしも愚説ではないが、トルストイが細君を恐れたことに変わりはない、というのである。・・・・・・。(中略)
 実生活を離れて思想はない。併し、実生活に犠牲を要求しない様な思想は、動物の頭に宿っているだけである。社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲に外ならぬ。その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。伝統という言葉が成立するのもそこである。この事情は個人の場合でも同様だ。思想は実生活の普段の犠牲によって育つのである。》(小林秀雄『思想と実生活』)

私は、この正宗白鳥との「思想と実生活」論争から、小林秀雄の「マルクス主義」論の二重性(パラドックス)を読みとる。小林秀雄は、デビューから晩年まで、一貫して、思想的なものを批判し、否定してきた。しかし、正宗白鳥との論争では、逆である。思想を擁護している。 つまりマルクス主義という思想とイデオロギーを徹底批判した小林秀雄が、ここでは、思想というものの「力」と「偉大さ」を力説している。言い換えれば、マルクス主義という思想の欺瞞と虚構を批判しながら、同時に、マルクス主義という思想の「力」と「偉大さ」を力説している、と読みとれる。小林秀雄は、矛盾することを言っているのか。そんなことはない。小林秀雄は、思想なるものを批判すると同時に、その思想なるものを激しく擁護してもいるのだ。一見、矛盾しているように見えるが、これは、矛盾ではない。

論点を明確化するために、正宗白鳥の文章も、小林秀雄が『思想と実生活』で引用しているので、孫引きになるが、引用しておこう。正宗白鳥の言い分である。

《二五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わった時、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求める旅に上ったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は妻君を怖がって逃げたのであった人生救済の本家のように世界の読者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤住独邁の旅に出て、ついに野垂れ死した経路を日記で熟読すると、悲壮でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けて見る如くである。ああ、わがトルストイ翁!》(正宗白鳥

この文から、正宗白鳥の「自然主義的リアリズム」の強固な精神を読みとることは可能だが、小林秀雄が、この一文を読み、「激高」(?)したのは、あまりにも思想的なものへの蔑視・軽視がひどいと思ったからではないか。その時、小林秀雄の脳裏をかすめていた思想とは、小林秀雄が、これまで闘ってきたマルクス主義という手強い「思想」だったにちがいない。「実生活」という現実問題を重視するだけで、そうやすやすと、思想問題は解決しない、と考えたからだろう。少なくとも、小林秀雄が対決したマルクス主義という思想は、そんな、甘ったれた、ひ弱な思想ではなかった、と考えたからだろう。
それが、小林秀雄の「あらゆる思想は実生活から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか」「実生活に犠牲を要求しない思想はない」とい言葉の真意だろう。
 これは、観念論か唯物論か、あるいは思想か現実か、という二元論のようにも見えるが、少なくとも小林秀雄にとっては、あるいはマルクスにとっては、そうではない。小林秀雄は、デビュー作『様々なる意匠』で、こう書いている。
《脳細胞から意識を引き出す唯物論も、精神から存在を引き出す観念論
も等しく否定したマルクス唯物史観における「物」は瓢瓢たる精神ではない事はもちろんだが、また固定した物質でもない。》(『様々なる意匠』)