小林秀雄『様々なる意匠』解説⑵

sugitasyunsukeの日記
sugitasyunsukeの日記
2005-09-05
小林秀雄「様々なる意匠」(昭和4年4月『改造』)
批評系

 小林秀雄の文章は、主に学生時代、人並みに読んできたが、小林の批評について何かを書こうという欲求は湧かなかった。
 久々に読んでみた。
 全体を通して、極度に凝縮されたこの批評文の、一種なげやりな感じに驚いた。逆説やイロニー、「搦手から」の軍略はいかにもの小林節で鼻につくが、その底に流れるどんよりとしたある種の感じ、なげやりさ、重苦しさには、何かこちらの腹を染み透る不思議なものがあり、それに撃たれた。


 物語調で書けば、そもそも小林は、初期に詩/小説/翻訳などを試し、そのどれも書けないというズレ=脱落を繰り返して、そのプロセスから「批評」を書き始めた。そう言われる。いや、そもそも「批評家失格」と宣言したところからなお批評を自分の「宿命」と考えた。とすれば、小林の批評の言葉は、少なくともそのポテンシャルからすれば、「文芸批評」等と名づけうるものですらなく、どのジャンルにもうまく位置付けられないもの、何か異様なもの、不思議に歪んだものであったろう。「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は哲学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である」という有名な言葉があるが、誰かがふれていたけれど、小林はここで「自分は批評家以外のものにはなれなかった」とは言っていない。「彼は彼以外のものにはなれなかった」と言っている。言葉の問題は批評の問題より常に巨きく、深い。このズレにいつも自覚的であろう。
 自分を空虚だが絶対的なポジションにおき、そこから身の回りの全ての意匠=イデオロギーを嘲笑し撃つこと――、小林を否定する人も肯定する人も、そのひと自身がしばしばこんな「批評的」なやり口、見え透いたやり口から逃れられない。自分だけが批評の何たるかをわかっている、と悲喜劇的にも思い込んでしまうからだ。そして明に暗に小林の歩んだ足跡をよろよろ辿り直す。それ自体が「意匠」のいち形式とも気づけずに。
 昭和4年の「様々なる意匠」という批評文は、そんな日本文芸批評の起源であり原点であるとは確かに言える。
 しかし、小林がその原点の場所で切り開いた言葉の水位とポテンシャルが、ぼくらが何となくイメージする「日本文芸批評」と同じ水準にあるとは思えない。マルクスの思想とマルクス主義が違うように、小林秀雄の批評と「日本文芸批評」は違う、別物だ、こう言ってしまえば全くつまらず、小林信者の誰もが口にする事柄にすぎないが、しかしその先で、批評の起源にあったものの異様さ・歪みと、そこから生じる言葉の強度の射程を見極めることは、いまだにやはり容易ではないのだ。「簡単に片付く問題」ではないのだ。そもそも「様々なる意匠」や「私小説論」も、並べてみれば、「Xへの手紙」「おふえりや遺文」「眠られぬ夜」など、小説ともエッセイとも手紙とも批評ともつかない不思議な文章群の中に、それ自体が居心地悪げに置かれている。そのことをどう捉えるか。まず、そんな素朴な位置から始め直そう。


 「様々なる意匠」の最後は、次の有名な言葉でそっけなく断ち切られる。


 私は、今日日本文壇のさまざまな意匠の、少なくとも重要と見えるものの間は、散歩したと信ずる。私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。




 例によって、この手のきめ台詞はどうとでも解釈ができる。「軍略」が見え透いているようでもある。でも、表面的ないやったらしさの底に流れる小林の「気分」を、自分はこう読んだ――。
 小林はここで「何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してな」く、他人たちを強いる意匠=イデオロギーを「軽蔑」するスタンスは取れないから、「ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めた」、そういうタイプの「搦手」的批評を書いた、と自己注釈しているように見える。
 しかし小林は「何物かを求め」ること自体を放棄し諦めているのか。他方に素朴な疑問が芽生える。「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔ながらの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。しかも、もし言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい」という書き出しと照らして読めば、更にその後の小林の批評の転位と変遷(ドストエフスキーモーツアルト/古典/ゴッホ本居宣長へ延びていく)を見れば、単純にそうは思えない。
 小林はやはり変らず「人心眩惑の魔術」の「言葉」を、つまり「何か」を求めている。


 「何か」とは何か。
 「様々なる意匠」の範囲で言えば、「自分の言葉」と「他者の言葉」が矛盾をはらみつつ合致するような、つまり「批評」がそのまま「小説」であるような、そういう「言葉」。「この時、彼(ボードレール)の魔術に憑かれつつも、私が正しく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それは正しく批評ではあるが又彼の独白でもある。人は如何にして批評というものと自意識というものを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない。批評とはついに己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」「こうして私は、私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性を流れる、作者の宿命の主調音をきくのである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである」「時代意識は自意識より大き過ぎもしなければ小さ過ぎもしないとは明瞭な事である」。
 小林はそんな灼熱した言葉に、「傑作の豊富性を流れる、作者の宿命の主調音」にダイレクトに突き当たること、薄っぺらな意匠の言葉に塗れた閉塞状況の一点突破を無意識に望む。そんな「言葉」以外の意匠どもは「影」だ、クズだ、批評するに値しない、と小林は言いたいのか。事実、「私は、今日日本文壇のさまざまな意匠の、少なくとも重要と見えるものの間は、散歩したと信ずる」と述べる「様々なる意匠」は、同時代の文学・作者の固有名には、一つとしてふれていない。完全に無視する。小林が真に論じるに足るテクストとして参照するのは、バルザックボードレールマルクスらである。しかし、小林はその全否定の意志を口にしない。口にせず、別の道をゆく。意匠=イデオロギーの乱立に自分も身を沈める。その矛盾したもどかしさが、小林の口調をいびつにゆがめ、時には悲壮に、時には逆に滑稽に染める。むしろ、真実の「何物か」を直截に愚直に求めるからこそ、小林の批評ともつかぬ批評の言葉は、不可避にずれ、歪み、いびつになっていくとすればどうか。
 自分が「何か」を求めるとしても、世の中に流通し人を浅薄に「騒然と」熱狂させ続ける様々な意匠=イデオロギーズをたんに軽蔑できるわけではない。自分は天才ではない。人は言っていることとやっていることが常に食い違い、流動する現実の渦中では、例え意匠を内的に食い破る「何物か」の曙光を心から望み続けたとしても、あるいはそれ故に自分が別の「意匠」の盲信へ転落しない保証はさらさら無く、「俺が自分の言動とほんとうの自分とのつながりに、なんとは知れぬ暗礁を感じはじめてから既に久しい」(「Xへの手紙」)。小林は「粉飾した心のみが粉飾に動かされる」ことは「自然の狡知なる理法」だ、と書く。この「自然の狡知なる理法」の逃れがたさが、小林の言葉の質をも根深く浸食し平板化しなかったはずがない。「様々なる意匠」の小林は、一貫して言葉の「意匠」=イデオロギーを、マルクスのいう「商品」との類推で捉えた。物ではなく商品。
 次の有名な言葉も、直ちに小林の批評の言葉自体に跳ね返ってくる、「商品は世を支配するとマルクス主義者は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力を持つものである」、繰り返すが小林がその「逆説」に無自覚だったはずがない。ぼくは結局、若き小林の言葉を「殺した」、殺すに足る「非情さ」を持ったのは、マルクスの言葉だったと思う(「私小説論」は殆ど「プロレタリア文学論」にも読める、その後小林はマルクスドストエフスキーの交差する地点から離脱し、ドストエフスキーのテクストに単独で無向き合うことになるが)。


 ここから考えると、冒頭第二文の次の言葉は、いささか誤解を生みかねない、軽薄なものに見える。少なくともぼくには、「様々なる意匠」を底流しその言葉の一粒一粒を浸食する「気分」と、この軽薄な軍略は重なり合わないと感ずる。いや、正確にいえば、こんな軽薄さに身を浸す他にない小林の態度がここにはあらわれていると見るべきか。


 私は、ここで問題を提出したり解決したり仕様とは思わぬ。私はただ世の騒然たる文芸批評家等が、騒然と行動する必要の為に見ぬ振りをした種々な事実を拾い上げたいと思う。私はただ、彼等が何故にあらゆる意匠を凝らして登場しなければならぬかを、少々不審に思うばかりである。私には常に舞台より楽屋の方が面白い。この様な私にも、やっぱり軍略は必要だとするなら、「搦手から」、これが私には最も人性論的法則に適った軍略に見えるのだ。




 現状を食い破る「何物か」をまっすぐ愚直に求めるからこそ、小林の(すでに/そもそもからして)批評ともつかぬ批評の言葉は、不可避にずれ、歪み、いびつになっていくとすればどうか、それは「文芸批評」等と名づけうるものですらなく、どのジャンルにもうまく位置付けられないもの、何か異様なもの、不思議に歪んだものであったのではないか、批評の起源にあったポテンシャルの異様さ・歪み、そこから生じる言葉の強度の射程を見極めることは、いまだにやはり容易ではないのではないか、と書いた。
 小林はそんな「何物か」を、今後ドストエフスキーモーツアルト/古典/ゴッホ本居宣長ベルグソンらのテキストとの執拗な格闘を通して求めることになり、その試みの成否と射程に関しては個別の検証が必要だが、今この場でまず踏まえたいのは、小林が、「様々なる意匠」の批評の水準を決して肯定していないこと、文章全体を漂うあの投げやりな感じが、その決定的な「足りなさ」の感覚に由来する事実だ。このタイプの言葉はこれ以上にもこれ以下にも行かない、同じ場所で空転を続けるだけだ、と。*1


 ※テキストの引用は新潮文庫版を用いた。

1:【後記】事実小林自身がのちに「様々なる意匠」の意図をわかりやすくこう注解していた、《僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いてきた。今もその根本の信念には少しの変りもない。僕が今までに書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、確かに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな格好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。(略)ただ自分に確かな事は、いつも僕は同じところに止まっている、何処かに出掛けて行っても直ぐ同じところに舞い戻って来る事だ。同じところとは批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真、というそういう場所だ》(「中野重治君へ」昭和十一年四月二・三日『東京日日新聞』)。それにしても、中野の論駁の力強さと容赦なさに比べ、小林のこの弱々しさは何だろう。それを「様々なる意匠」に即して述べた。小林は「様々なる意匠」系列の文章をここで「感想文」「批評文」「批評的雑文」と呼ぶ。「真の批評」とは言っていない。小林は自分の不動の硬い信念を少しも誇っていない。冷笑や皮肉とも明らかに違う。「批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真」というタイプの批評原理以外にどこにも「出掛け」られない、移動できない自分にいじけているように見える。「謙遜の意味で雑文というのではない、確かに雑文だと自分で思っているのだ」。この言葉はダイレクトに受け取ろう。このタイプの批評原理、つまり「批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真」という批評原理を撃ち砕き別の水位へ言葉を濁流させるには、ドストエフスキーとの遭遇、いや継続的な取っ組み合いのための物理的時間が必要だった(ぼくは小林がドストエフスキー論で掴んだ批評原理は、中野重治のいう「素撲さ」の批評原理だと少し思う)。その限りでは、大澤信亮氏の小林秀雄論「批評と記述」の次の言葉は、今日も愚直に「真の批評」とは何かを問い続ける少数の書き手には、切実な響きを持つ。《批評家とは小説を論じる者ではない。それが小説という場合もあり得るにすぎない。批評家にとって何よりも大切なのは、小説にせよ音楽にせよ、論じる自らを分裂させ、同時に、そうまでしても魅了させられずにいない対象を獲得することである》。事実、大澤氏の例えば連載『マンガ・イデオロギー』を読むとまさに氏こそがこの「対象の獲得」をめぐって現在進行形で格闘中に見えるからであり、その姿は小林秀雄の「様々なる意匠=ブンガク・イデオロギーズ」のそれとかなりの側面で同質に映る。ということは前者が後者の投やりな感じ、それゆえの焦慮、それゆえの祈りをかなりの側面で共有しているという意味だ。小林秀雄は例えば戸坂潤『日本イデオロギー論』のように、自分を強いる状況の「混乱」の総体を「非科学的」とばっさり裁断する、特権的な視点を持ち得なかった。商品を論じるマルクス主義者の言葉自体が商品であるように、自分自身に全ての痛苦は跳ね返って来たからだ。故に小林の批評は、イデオロギー批判の強度と内圧を更に高め、戸坂的な倫理的裁断ではなく、『ドイツイデオロギー』的な(空間的な視差から来る)《今ここ》の批評、宗教・資本・意匠を人々へ不可避に強いる現実的条件の批評へと取って変える、というマルクス的方向にも進まなかった。もちろん、それを小林が、ドストエフスキーマルクスの交差する場所から、後者の経済学を切り捨て前者の文学に走った、と批判するのは当らない。小林固有のイデオロギー批判、「真の批評」は、ドストエフスキーの作品と時かに格闘するところからしか始まり得なかった(それは実に「序章」部分だけで挫折したとも取れるのだけれど)だけだ。何故マルクスのテクストではダメだったのか、という謎も残るのだけれど。

sugitasyunsuke 14年前
Add Star

関連記事
2016-10-29
柄谷行人論のための(乱雑な)ノート
*本日のゲンロンカフェの参考までに、ブログにアップしておき…
2008-03-07
堀田義太郎「ケアと市場」
◆堀田義太郎[200803]「ケアと市場」、→『現代思想』2008年3月号…
2007-06-14
宇野常寛ゼロ年代の想像力」を読んでみた。
宇野常寛ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』07年7月号)を…
2006-08-13
「左」の凄みについて――小林よしのり大塚英志
【一部、言葉を追加しました。15日。】 男性弱者?系のエント…
2005-11-29
小林秀雄『感想』の感想
小林秀雄ベルグソン論『感想』を通読した(新潮社版『全作品…
新しい記事 (2005-09-05)
攻殻機動隊
過去の記事 (2005-09-03)
わがまま?
記事一覧
コメントを書く

プロフィール
id:sugitasyunsuke
id:sugitasyunsuke
検索
記事を検索
注目記事
2005-04-25
押井守イノセンス』――誰が無垢を必要としているか、無垢を必要とされた誰かは何を必要としているか
上野千鶴子フェミナチと呼ぶことは許されると思う。
2006-08-11
上野千鶴子フェミナチと呼ぶことは許されると思う。
2005-09-05
小林秀雄「様々なる意匠」(昭和4年4月『改造』)
ドラえもん のび太と鉄人兵団』の感想
2011-04-28
ドラえもん のび太と鉄人兵団』の感想
2006-05-19
中村光夫『風俗小説論』メモ


はてなブログ開発ブログ
週刊はてなブログ
はてなブログトップ
上へ
sugitasyunsukeの日記
Powered by Hatena Blog.
ダッシュボード PC版 ブログを報告する