小林秀雄の「徒然草」論

小林秀雄徒然草
昨日、小林秀雄の目線が知りたいと書いたが、「歴史の魂」を書いた翌月の八月に『文学界』に書いた「徒然草」がその回答になっている。「徒然草」は吉田兼好が書いた随筆で、「徒然なるままに、日ぐらし、硯(すずり)に向かいて、心に映りゆくよしなごとを、そこはかとなく、書きつくれば…」という書き出しは誰もが知っている有名な文章だ。
日本的なここちよい文で、思いつくまま、流れるような文章を書いている。私だってこのブログを、「徒然なるままに、日ぐらし、パソコンに向かって、心に映りゆくよしなごとを、そこはかとなく書きつくりたい」と思っていたのだ。ところが小林秀雄に言わせれば、「徒然草」という書名は兼好自身ではなく後世の人が勝手につけたもので、その理解(徒然=退屈)も間違っていると言う。内容を抜粋する。

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「徒然なる儘に、日ぐらし、硯に向ひて、心に映り行くよしなしごとを、そこはかと無く書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ」。「徒然草」の名は、この有名な書出しから、後人の思い付いたものとするのが通説だが、どうも思い付きはうま過ぎた様である。兼好の苦がい心が、洒落た名前の後に隠れた。一片の洒落もずい分いろいろなものを隠す。一枚の木の葉も、月を隠すに足りる様なものか。今更、名前の事なぞ言っても始らぬが、「徒然草」という文章を、遠近法を誤らずに眺めるのは、思いの外の難事である所以に留意するのはよい事だと思う。
「つれづれ」という言葉は、平安時代の詩人等が好んだ言葉の一つであったが、誰も 兼好の様に辛辣な意味をこの言葉に見付け出した者はなかった。彼以後もない。「徒然わぶる人は、如何なる心ならむ。紛るる方無く、唯独り在るのみこそよけれ」、兼好にとって徒然とは「紛るる方無く、唯独り在る」幸福並びに不幸を言うのである。
「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるだろうから。やがて「惑の上に酔ひ、酔の中に夢をなす」だろうから。兼好は、徒然なる儘に、「徒然草」を書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、眼が冴えかえって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、「怪しうこそ物狂ほしけれ」と言ったのである。この言葉は、書いた文章を自ら評したとも、書いて行く自分の心持ちを形容したとも取れるが、彼の様な文章の達人では、どちらにしても同じ事だ。
兼好の家集は、「徒然草」について何事も教えない。逆である。彼は批評家であって、詩人ではない。「徒然草」が書かれたという事は、新しい形式の随筆文学が書かれたという様な事ではない。純粋で鋭敏な点で、空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件なのである。僕は絶後とさえ言いたい。彼の死後、「徒然草」は、俗文学の手本として非常な成功を得たが、この物狂おしい批評精神の毒を呑んだ文学者は一人もなかったと思う。西洋の文学が輸入され、批評家が氾濫し、批評文の精緻を競う有様となったが、彼等の性根を見れば、皆お目出度いのである。「万事頼むべからず」、そんな事がしっかりと言えている人がない。批評家は批評家らしい偶像を作るのに忙しい。
兼好は誰にも似ていない。よく引合いに出される長明なぞには一番似ていない。彼 は、モンテエニュがやった事をやったのである。モンテエニュが生れる二百年も前に。モンテエニュより遥かに鋭敏に簡明に正確に。文章も比類のない名文であって、よく言われる「枕草子」との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何ぎよに御したらいいか、これが「徒然草」の文体の精髄である。
彼には常に物が見えている、人間が見えている、見え過ぎている、どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。評家は、彼の尚古趣味を云々するが、彼には趣味という様なものは全くない。古い美しい形をしっかり見て、それを書いただけだ。「今やうは無下に卑しくこそなりゆくめれ」と言うが、無下に卑しくなる時勢とともに現れる様々な人間の興味ある真実な形を一つも見逃していやしない。そういうものも、しっかり見てはっきり書いている。彼の厭世観の不徹底を言うものもあるが、「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり」という人が厭世観なぞを信用している筈がない。
徒然草」の二百四十幾つの短文は、すべて彼の批評と観察との冒険である。それぞれが矛盾撞着しているという様な事は何事でもない。どの糸も作者の徒然なる心に集って来る。
小林秀雄は兼好は徒然なるままに-すなわち退屈で心を紛らすために-書いているわけではないと言う。純粋で鋭敏な批評家の魂が出現した文学史上の大事件であり、物狂おしい批評家精神の毒を呑んだ文学者だと言う。…まるで兼好は小林秀雄自身ではないか。小林秀雄の視線は兼好から学んだものなのか、もしくはもともと兼好と同じ気質であるため、わかるのかのいずれかだ。兼好について評価している内容はすべて、私が小林秀雄を評価している内容とまったく一致する。
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ところで、ふと思い出したのだが、私は「論語」は教訓じみていて、仁義礼智信を語りピラミッド型の大組織を維持するのに都合のよい論理で道徳を語るだけだとみなし、あまり好まなかった。しかし小林秀雄孔子を尊敬しており「論語」を高く評価する。その理由は「仁とは何か」などと形而上学的な話をせずに具体的なところだと語っていた。
小林秀雄の視点は、世間の見方、たとえば「論語」だと仁義礼智信だとか、ヘーゲルだと弁証法だとか、イデオロギーやスローガンになってしまった解釈で理解することを拒否する。作品そのものや人間のそのものを純粋に見よと教えているのである。そのような視点で見ると兼好の徒然は徒然(退屈の意味)でも何でもなく、真逆の厳しい批評であることが見えてくるのだろう。

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posted by nobuoji at 18:54 | 日記
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