印象批評」とは何か?「科学的批評」と対置して、あなたの感想を述べよ。

印象批評」とは何か?「科学的批評」と対置して、あなたの感想を述べよ。


「印象批評」とは何か?
「科学的批評」と対置して、あなたの感想を述べよ。
〓〓〓〓以下引用〓〓〓〓
(小林秀雄『様々なる意匠』から)
《 印象批評
嘗て主観批評は印象批評の弊害という事が色々と論じられた事があった。然し結局「好き嫌いで人をとやかく言うな」という常識道徳の或は礼儀作法の一法則の周りをうろついたに過ぎなかった。或は攻撃されたものは主観批評でも印象批評でもなかったかもしれない。「批評になっていない批評」というものだったかも知れない。「批評になっていない批評の弊害」では話が解りすぎて議論にもならないから、というものだったかも知れない。兎も角私には印象批評という文学史家の一術語が何を語るか全く明瞭でないが、次の事実は大変明瞭だ。所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文芸批評を前にして舟が波に掬われるように、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私が浚われて了うという事である。この時、彼の魔術に憑かれつつも、私が正しく眺めるものは、嗜好の形式でもなく、尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それは正しく批評ではあるがまた又彼の独白でもある。人は如何にして批評というものと自意識というものと区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない。批評とは、竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!》
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