エッセイ研究。答えのない問題。

「答えのない問題」の文章化について。
今日のテーマ。
《 オリンピックは中止すべきか、開催すべきか?》


「答えのある問題」と「答えのない問題」について。
今日のテーマ。
《 オリンピックは中止すべきか、開催すべきか?》
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「答えのある文章」の典型は、論文だろう。論文の場合は 「答え」や「結論」が見つかるまでは書かないのが普通である。
これに対して、「答えのない文章」の典型は、文学や芸術の文章であろう。
つまり、我々が書かなければならないのは、後者、「答えのない文章」である。
「答えのない文章」においては、答えや結論が明確でないのが、当然である。無理に「答え」や「結論」をでっち上げて、もっともらしく書くことは、邪道である。「答え」や「結論」がないのが、我々が、日々、直面している問題である。
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柄谷行人の「漱石論」から。
《 おそらく、漱石は人間の心理が見えすぎて困る自意識の持ち主だったが、それ故に見えない何ものかに畏怖する人間だったのである。何が起こるかわからぬ、漱石はしばしばそう書いている。漱石が見ているのは、心理や意識をの得た現実である。科学的に対象化しうる「現実」でばない。》