今朝も、日課になった、「おおまる小学校」往復2キロの散歩に行って来た。 途中、鯉のいた河岸を覗いていたら、なんと鯉の親子連れがいるではないか。しかし、足音に気づいたらしく、スマホを出す前に、鯉の親子は、逃げていった。先日は、ここで、緋鯉も見た。ということは 、ここに、最低、3匹は鯉がいるということだ。嬉しくなってきた。子孫繁栄、子供がたくさん生まれて、鯉が川面に犇(ひし)めき合う姿が浮かんでくる。その日も遠くないかもしれない。さて、大丸小学校では、入学式があったんだろうか。数名の生徒たちが、校庭で、先生

今朝も、日課になった、「おおまる小学校」往復2キロの散歩に行って来た。

途中、鯉のいた河岸を覗いていたら、なんと鯉の親子連れがいるではないか。しかし、足音に気づいたらしく、スマホを出す前に、鯉の親子は、逃げていった。先日は、ここで、緋鯉も見た。ということは 、ここに、最低、3匹は鯉がいるということだ。嬉しくなってきた。子孫繁栄、子供がたくさん生まれて、鯉が川面に犇(ひし)めき合う姿が浮かんでくる。その日も遠くないかもしれない。さて、大丸小学校では、入学式があったんだろうか。数名の生徒たちが、校庭で、先生に手を引かれて、歩いていた。しかし、全校生徒が、10数名なのか、私はよく分からないが、いずれにしろ、奥の方に10数名の生徒たちが、並んで、立っているのが見える。桜は満開だが、小学校全体は、ヒッソリとしている。父兄の姿も見えない。あまり、覗き見をしていると、「不審者」と思われるので、早目に引き返した。私の散歩コースは、今のところ、国道255号線沿いの歩道である。車は多いが、小学生の通学路でもあるので、安全だろうと思っている。国道沿いの歩道なので、時々、知り合いらしい人が、クラクションを鳴らして走りすぎていく。しかし、気がついた時には、もう走りすぎていて、ドアからはみ出した手しか見えない。手を振って合図しているのだろうが、誰だか分からない。ところで、今朝は、車が止まった。車の中から、「オバサン」(笑)が何か話している。私に話しかけているらしい。よく見ると、小学校の同級生だ。「おお、元気だったか?」と聞くと、元気じゃないという。これから、鹿児島の病院に行くところだ、と。枕崎にも川辺にも、近くに、病院はいっぱいある。それでも、鹿児島市内まで行くということは、かなり難病で、大学病院にでも行くのだろう。しかし、車を運転して鹿児島市内まで行くと言うから、近頃の「婆さん」には負ける。「あんたは、ないごっねええ」と聞くから「散歩だよ」と答えると、半分、バカにしたように笑っている。国道沿いの歩道を、ひとりトボトボと歩「シラガの老人」を見たら、誰でも、「認知症の徘徊老人かな?」と、不審に思うだろう。仕方がない。他人がどう思おうと、どうでもいい。私は、我が道を歩み続けるだけだ。私は、私の散歩道を、西田幾多郎等の歩いた、京都の「哲学の道」にならって 、自分だけの独断と偏見で、「新・哲学の道」と読んでいる。さー、今日も、「哲学の道」を歩きながら 、元気よく、頑張ろうと、思う。『同志社大学神学部 』の続きでも読んで、「佐藤優論」でも書くか。いや、その前に、『月刊日本』の連載原稿がある。締め切りが迫っている。物思いに耽りながら歩いていると、また車が止まった。今度は軽トラ。「オジサン」がこっちを見ている。誰だろう。何か、私に用事でもあるのかな。と思っていると 、「オジサン」は、車を降りて、対抗車線を超えて、こっちへやってくる。手にビニール袋を持っている。例の従兄弟だった。先日、西郷南洲肖像画の所有者の家まで案内してくれた従兄弟である。「枕崎の『 ツケアゲ 』です。」と、ビニール袋の中身は枕崎名物の「漬け揚げ」らしい。先日の御礼を言おうとしたら、あっという間に、走り去って行った。今日は、奥さんの実家のミカン山に行くらしい。奥さんの実家も、後継者がいなくて 、空き家になっているらしく、彼が見回りしているようだ。今日は 不思議な日だな、2台も車が止まった。帰りに 、もう一度、鯉の親子を探してみたが、どこにも見当たらなかった。緋鯉も見えなかった。明日、パンの耳でも持ってこよう。「毒蛇山荘」に帰り着くと、ポストに、八幡和郎さんの新著が、二冊、届いていた。『歴史の定説ー100の嘘と誤解 』『 365日でわかる世界史』。先日、八幡和郎さんから、新著を送りたいが、鹿児島の住所を教えて欲しい、というFacebookのメッセージで、連絡があったので、「毒蛇山荘」の住所を教えたばかりだった。
(続く)

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