「中庸」引用文

〓〓〓〓以下引用〓〓〓〓
 左翼でなければ右翼、進歩主義でなければ反動主義、平和派でなければ好戦派、どっちも付かぬ意見を抱いている様な者は、日和見主義者といって、ものの役には立たぬ連中である。そういう考え方を、現代の政治主義ははやらせている。もっとも、これを、考え方と称すべきかどうかは、甚だ疑わしい。何故かというと、そういう考え方は、凡そ人間の考え方の自立性というものに対するひどい侮蔑を含んでいるからである。現代の政治が、ものの考え方など、権力行為という獣を養う食料くらいにしか考えていないことは、衆目の見るところである。

 昔、孔子が、中庸の徳を説いたことは、誰も知るところだが、彼が生きた時代もまた、政治的に紛乱した恐るべき時代であったことを念頭に置いて考えなければ、中庸などという言葉は死語であると思う。おそらく、彼は、行動が思想を食い散らす様を、到るところに見たであろう。行動を挑発しやすいあらゆる極端な考え方の横行するのを見たであろう。行動主義、政治主義の風潮の唯中で、いかにして精神の権威を打ち立てようかと悩んだであろう。その悩ましい思索の中核に、自ら中庸という観念の生まれて来るのを認めた。そういう風に、私には想像される。そういう風に想像しつつ、彼の言葉を読むと、まさにそういう風にしか、中庸という言葉は書かれていないことが解る。

 中庸を説く孔子の言葉は、大変烈しいものであって、いわゆる中庸を得たものの言い方などはしていないのである。
 「天下国家モ均シクス可シ、爵禄モ辞ス可シ、白刃モ踏ム可シ、中庸ハ能クス可カラザルナリ」
 つまり、中庸という実践的な智慧を得るという事に比べれば、何もかも皆易しいことだと言うのである。なぜ、彼にはこんな言い方が必要だったのだろうか。無論、彼の言う中庸とは、両端にある考え方の間に、正しい中間的真理があるというような、簡単な考えではなかったのであって、上のような言い方は、彼が考え抜いた果てに到達した思想が、いかに表現しがたいものであったかを示す。様々な種類の正しいと信じられた思想があり、その中で最上と判定するものを選ぶことなどが問題なのではない。およそ正しく考えるという人間の能力自体の絶対的な価値の救助とか、回復とかが目指されているのだ。そういう希いが中庸と名づけられているのである。彼の逆説的な表現はこの希いを示す。私はそう思う。

 「中庸ハ其レ至レルカナ」

 ところで、彼が、君子の中庸と、小人の中庸と区別して記しているのは興味あることだ。君子の中庸は「時ニ中ス」と言い、小人の中庸は「忌憚ナシ」と言う。こんなことは空想家には言えないのである。中庸という過不及のない、変らぬ精神の尺度を、人は持たなければならない、という様な事を孔子は言っているのではない。いつも過不及があり、いつも変っている現実に即して、自在に誤たず判断する精神の活動を言っているのだ。そういう生活の智慧は君子の特権ではない。誠意と努力とさえあれば、誰にでも一様に開かれている道だ。ただ、この智慧の深さだけが問題なのである。君子の中庸は、事に臨み、変に応じて、命中するが、そういう判断の自在を得ることは難しく、小人の浅薄な中庸は、一見自由に見えて、実は無定見に過ぎない事が多い。考えに自己の内的動機を欠いているが為に、却って自由に考えている様な恰好にも見える。つまり「忌憚なし」である。

 孔子は一生涯、倦まず説教し通したが、説教者の特権を頼む事の最も少なかった人である。遂に事ならず窮死したが、「君子固ヨリ窮ス」と嘆いただけで、殉教者の感傷の如きものは、全く見られない。深い信仰を持っていたが、予言者めいたところは少しもなかった。それどころか、彼の智慧には常に健全な懐疑の裏打ちがあったように思われる。彼は、だれのこころのうちにも、予言者と宣伝家とがひそんでおり、これが表に現れて生長すると、世の中にはろくなことは起こらぬことを看破していたようである。真理の名の下に、どうあっても人々を説得したい、肯じえない者は殺してもいい、場合によっては自分が殺されてもいい。ああ、何たる狂人どもか。そこに孔子の中庸という思想の発想の根拠があった様に、私には思われる。

 無論、私は説教などしているのではない。2千余年も前に志を得ずして死んだ人間の言葉の不滅を思い、併せて人間の暗愚の不滅を思い、不思議の感をなしているのである。
〓〓〓〓引用終了〓〓〓〓



〓〓〓〓
 左翼でなければ右翼、進歩主義でなければ反動主義、平和派でなければ好戦派、どっちも付かぬ意見を抱いている様な者は、日和見主義者といって、ものの役には立たぬ連中である。そういう考え方を、現代の政治主義ははやらせている。もっとも、これを、考え方と称すべきかどうかは、甚だ疑わしい。何故かというと、そういう考え方は、凡そ人間の考え方の自立性というものに対するひどい侮蔑を含んでいるからである。現代の政治が、ものの考え方など、権力行為という獣を養う食料くらいにしか考えていないことは、衆目の見るところである。

 昔、孔子が、中庸の徳を説いたことは、誰も知るところだが、彼が生きた時代もまた、政治的に紛乱した恐るべき時代であったことを念頭に置いて考えなければ、中庸などという言葉は死語であると思う。おそらく、彼は、行動が思想を食い散らす様を、到るところに見たであろう。行動を挑発しやすいあらゆる極端な考え方の横行するのを見たであろう。行動主義、政治主義の風潮の唯中で、いかにして精神の権威を打ち立てようかと悩んだであろう。その悩ましい思索の中核に、自ら中庸という観念の生まれて来るのを認めた。そういう風に、私には想像される。そういう風に想像しつつ、彼の言葉を読むと、まさにそういう風にしか、中庸という言葉は書かれていないことが解る。

 中庸を説く孔子の言葉は、大変烈しいものであって、いわゆる中庸を得たものの言い方などはしていないのである。
 「天下国家モ均シクス可シ、爵禄モ辞ス可シ、白刃モ踏ム可シ、中庸ハ能クス可カラザルナリ」
 つまり、中庸という実践的な智慧を得るという事に比べれば、何もかも皆易しいことだと言うのである。なぜ、彼にはこんな言い方が必要だったのだろうか。無論、彼の言う中庸とは、両端にある考え方の間に、正しい中間的真理があるというような、簡単な考えではなかったのであって、上のような言い方は、彼が考え抜いた果てに到達した思想が、いかに表現しがたいものであったかを示す。様々な種類の正しいと信じられた思想があり、その中で最上と判定するものを選ぶことなどが問題なのではない。およそ正しく考えるという人間の能力自体の絶対的な価値の救助とか、回復とかが目指されているのだ。そういう希いが中庸と名づけられているのである。彼の逆説的な表現はこの希いを示す。私はそう思う。

 「中庸ハ其レ至レルカナ」

 ところで、彼が、君子の中庸と、小人の中庸と区別して記しているのは興味あることだ。君子の中庸は「時ニ中ス」と言い、小人の中庸は「忌憚ナシ」と言う。こんなことは空想家には言えないのである。中庸という過不及のない、変らぬ精神の尺度を、人は持たなければならない、という様な事を孔子は言っているのではない。いつも過不及があり、いつも変っている現実に即して、自在に誤たず判断する精神の活動を言っているのだ。そういう生活の智慧は君子の特権ではない。誠意と努力とさえあれば、誰にでも一様に開かれている道だ。ただ、この智慧の深さだけが問題なのである。君子の中庸は、事に臨み、変に応じて、命中するが、そういう判断の自在を得ることは難しく、小人の浅薄な中庸は、一見自由に見えて、実は無定見に過ぎない事が多い。考えに自己の内的動機を欠いているが為に、却って自由に考えている様な恰好にも見える。つまり「忌憚なし」である。

 孔子は一生涯、倦まず説教し通したが、説教者の特権を頼む事の最も少なかった人である。遂に事ならず窮死したが、「君子固ヨリ窮ス」と嘆いただけで、殉教者の感傷の如きものは、全く見られない。深い信仰を持っていたが、予言者めいたところは少しもなかった。それどころか、彼の智慧には常に健全な懐疑の裏打ちがあったように思われる。彼は、だれのこころのうちにも、予言者と宣伝家とがひそんでおり、これが表に現れて生長すると、世の中にはろくなことは起こらぬことを看破していたようである。真理の名の下に、どうあっても人々を説得したい、肯じえない者は殺してもいい、場合によっては自分が殺されてもいい。ああ、何たる狂人どもか。そこに孔子の中庸という思想の発想の根拠があった様に、私には思われる。

 無論、私は説教などしているのではない。2千余年も前に志を得ずして死んだ人間の言葉の不滅を思い、併せて人間の暗愚の不滅を思い、不思議の感をなしているのである。
〓〓〓〓引用終了〓〓〓〓