思い出の「港町ブルース」

昨年(2019)、初めて「枕崎会」に参加した。誰も知り合いがいないから、「浦島太郎」状態だろうと思っていた。しかし、私の苗字(山崎)を見て、話しかけてくれる人たちがいた。みな、「山崎さん」だった。
私は、枕崎生まれでも枕崎育ちでもない。しかし、私の本籍地は、枕崎市別府〇〇番地である。そこに、「山崎」という地名の集落があり、そこに父親の実家があり、今でも先祖や両親の墓もある。宅地は雑木林になっているが・・・。


親戚も、枕崎には、たくさんいる。しかも、生まれた時から、毎年、盆と正月は 、父親の実家で、家族や親戚に囲まれて、賑やかに過ごすことが恒例だった。だから、枕崎は、まぎれもなく、私の「故郷」である。だから、東京でおこなわあれている「枕崎会」に参加してみたいと思っていた。しかし、同級生や友人がいない。同級生がいないわけではない。たとえば 、サッカーの指導者として、有名になった「山崎亨」氏は、名前が示すように 、親戚であり、幼なじみである。