吉本隆明  1924-2012 その1 「転向論」 12/03/30 23:34 先日亡くなった吉本隆明に、メディアは「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」「知の巨人」といった言葉を贈った。おお、そういう偉い人だったのか。筆者はこれまで吉本の本を1冊も読んでいなかったことを悔やみつつ、図書館から『吉本隆明全著作集』(勁草書房)数冊を借りてきた。 手始めに『吉本隆明全著作集 13』の冒頭の論文「転

吉本隆明  1924-2012 その1 「転向論」
12/03/30 23:34

先日亡くなった吉本隆明に、メディアは「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」「知の巨人」といった言葉を贈った。おお、そういう偉い人だったのか。筆者はこれまで吉本の本を1冊も読んでいなかったことを悔やみつつ、図書館から『吉本隆明全著作集』(勁草書房)数冊を借りてきた。

手始めに『吉本隆明全著作集 13』の冒頭の論文「転向論」を読もうと思う。「転向論」は1958年に発表された。だが、まずその前に準備体操から始めよう。

日本国語大辞典』(小学館)によると、「転向」とは「①方向を変えること②それまでいだいてきた思想や主義主張を権力の強制などのために変えること。特に、昭和初年以来、治安維持法による官憲の弾圧によって共産主義者社会主義者などが、その思想を放棄したことをいう」と説明されている。

日本共産党関連の出版物を手がけている新日本出版社の『社会科学総合辞典』で「転向」をひくと「変節」を見よ、ある。その「変節」は次のように説明される。「革命運動上の変節とは、支配階級の圧迫や誘惑によってその思想信条をかえ、裏切ること。戦前、支配階級は治安維持法下の弾圧による変節を『転向』と称した。これは裏切りをせまるために、変節することをあたかも『正しい方向にむかうのだ』として本質を欺瞞し美化するものであった」

政治学事典』(弘文堂)は「転向」を、「日本共産党指導部佐野学、鍋山貞親の国際共産主義からの転向声明『共同被告同志に告ぐる書』に端を発する集団転向を契機に、弾圧の下で共産主義思想を放棄することをさす」としている。「転向」の研究史として①本多秋五『転向文学論』(1958)のような、転向を外来思想の土着化の問題に一般化し、正しい思想の放棄という倫理的色彩を払拭しようとする取り組み方②思想の科学研究会『共同研究転向』(1959-62)のような政治権力と個人の思想的対立とみなす取り組み方③吉本隆明「転向論」のように「転向の本質を自発性に見、日本国民の軍国主義イデオロギーへの投入と戦前共産主義思想の投入の経験を重ね合わせ、これを、人が誤ることでその誤りを手がかりに思想を獲得する契機と再定義した」と同事典は解説する。

『新社会学辞典』(有斐閣)は事実関係についてはおおむね『政治学事典』と同じであるが、「権力によって強制されたために起こる思想の変化」という思想の科学研究会の定義に、次のような補足を加えている。「それは『権力』一般によるものではなくて、天皇制国家に固有の現象とみなすべきである。そこでは国体を否認すると認定されたものに、官憲は一方で過酷な肉体的拷問を加えつつ、同時に親子の情にからめて転向を促した」。

さて、吉本の「転向論」だが、彼は論文冒頭で転向の概念を①共産主義者共産主義を放棄する場合②一般に進歩的合理主義思想を放棄することを意味する場合③思想的回転(回心)現象一般を意味する場合という、本多秋五(『転向文学論』)の定義を「転向を現象としてみるならば……この三種の概念につきるであろう」とし、転向の問題が、とどのつまり輸入思想の日本国土化の過程に生じる軋りだ、とする本多の見方を肯定している。

そのうえで吉本は彼独自の転向論を立てるため、転向を「日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換」と定義する。

1930年代の日本思想史上の事件である「転向」を論じるにあたっての吉本独特のスタンスは、権力の側からの強制や圧迫はとびぬけて大きな要因はなかった、とするものである。「転向論」で吉本は次のように書いている。

「わたしは弾圧と転向は区別しなければならないとおもうし、内発的な意志がなければどのような見解をもつくりあげることはできない、とかんがえるから、佐野、鍋山の声明書発表の外的条件と、そこにもりこまれた見解とは、区別しうるものだ、という見地をとりたい。また、日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものが、とびぬけて大きな要因であったとは、かんがえない。むしろ大衆からの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、わたしの転向論のアクシスである」

転向は権力からの弾圧よりもむしろ内発的意志によって生じるという観点から、吉本は日本のインテリゲンチャのたどる思考の変換の経路を二つに分けた。

第1は次のような経路である。日本の社会を、理にあわないつまらぬものとして見くびってきたインテリゲンチャ天皇制や家族制度のような日本的状況を絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたときに生じる思考の変換である。佐野や鍋山の転向はこのタイプである、と吉本は考える。

第2の経路は、思考自体が現実の社会現実構造と対応させられることなく、論理自体の機械的自動作用にしたがって自己完結する。日本的近代主義によってとらえられた思想は現実社会を必要とせず、自己の論理を保つのに都合の良い生活条件さえあれば、転向する必要はない。吉本はこのように主張し、この経路をたどったのが小林多喜二宮本顕治ら非転組であるとする。

そして、吉本はここで論理のアクロバットを演じて見せる。

「このような『非転向』は、本質的な非転向であるよりも、むしろ、佐野、鍋山と対照的な意味の転向の一形態であって、転向論のカテゴリーに入ってくるものであることはあきらかである」

「転向論議が、権力への思想的屈服と不服従の問題として行われてきたことを、私は全面的に肯うことができない」とする吉本は、1930年代の歴史に見られた「転向」事件では、獄中非転向をつらぬいたとされる宮本顕治をふくめ全員が「佐野、鍋山と対照的な意味の転向の一形態であって」、つまり宮本もある種の転向者だったと、吉本は結論しているわけだろうか? すると、当時の官憲にとらえられた日本共産党員全員が転向者ということになる。あるいは、そもそも転向などというものはなく、あったのは自発的な「思考変換」と「思考不変換」にすぎなかったということだろうか?

そういうことでもないらしい。転向後に『村の家』という転向文学のすぐれた作品を書いた中野重治を吉本は高く評価する。中野の態度は日本近代のインテリゲンチャが決してみせることのなかった、新たな方法であると吉本は判断するのだ。したがって吉本は、転向を契機に中野は日本封建制の優性と真正面から対決したとして、「中野の転向(思考的変換)を、佐野、鍋山の転向や、小林(多)、宮本、蔵原の『非転向』よりはるかに優位におきたいとかんがえる」とした。

以上の難渋な吉本の議論のおよその道筋をたどると次のようになる。

①日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものが、とびぬけて大きな要因であったとは、考えない。
②弾圧と転向は区別しなければならないと思う。また、内発的な意志がなければどのような見解をもつくりあげることはできない、と考える。
③したがって、転向論議が、権力への思想的屈服と不服従の問題として行われてきたことを、全面的に首肯できない。
④以上の前提に立って、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために転向した佐野や鍋山らも、日本の現実社会に目をむけることをせず、論理の自己完結によって転向を避けた宮本らもまた転向者である。いったんは転向しながら、転向による傷を、日本社会と対決していく契機とした中野のほうが、佐野、鍋山、宮本、蔵原よりも優位にある。

ここで問題になるのが、吉本の議論が「日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものが、とびぬけて大きな要因であったとは、考えない」ということを前提にしている点だ。それも、とびぬけて大きな要因ではなかった」という歴史的事実ではなく、「とびぬけて大きな要因であったとは、考えない」という、吉本の見方である。だが、吉本は彼の見方を支えるべき証拠をまったく示していない。

したがって、吉本の議論は、検証されていない前提から始まっているので、「転向論」の議論は、たんなる「作業仮説」にすぎないといえる。

吉本は、転向した佐野や鍋山よりも、日本の現実社会に目をむけることをせず論理の自己完結によって転向を避けた宮本よりも、いったんは転向しながらも、転向による傷を、日本社会と対決していく契機とした中野のほうが優位にあることを主張するために、1930年代の日本で起きた転向では、「権力の強制は転向の主要な要因ではなかった」という実証されていない前提を必要としたのである。

いま読めば修士論文の作業仮説程度の内容にすぎない吉本の「転向論」が発表されたのは、半世紀ほど前の1958年だった。時代はまもなく60年安保を経て新左翼の時代へ移ろうとしていた。1960年代は日本では反代々木派の新左翼学生運動が高揚し、日本も海外もスチューデント・パワー、学園闘争で沸き返った時代だった。

書物にも食べ物と同じように「旬」や「賞味期限」があるのだ。

(2012.3.30 花崎泰雄)
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