小林多喜二事件ー昭和8年2月







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NEWS-2018.3.28(水)
当地(東京都大田区北千束)にも住んだ詩人・中原中也を紹介。彼の独特な音の表現に着目した→

芥川龍之介『魔術』→
池部 良『風が吹いたら』→
石川善助『亜寒帯』→
石坂洋次郎『海を見に行く』→
稲垣足穂一千一秒物語』→
井上司朗『証言・戦時文壇史』→
井上 靖『氷壁』→
宇野千代色ざんげ』→
尾﨑士郎『空想部落』→
片山広子翡翠』→
川口松太郎日蓮』→
川端康成『雪国』→
北園克衛北園克衛詩集』→
北原白秋『桐の花』→
国枝史郎神州纐纈城』→
倉田百三出家とその弟子』→
小池真理子『欲望』→
小島政二郎『眼中の人』→
小関智弘『大森界隈職人往来』→
近藤富枝『馬込文学地図』→
榊山 潤『馬込文士村』→
佐多稲子『水』→
志賀直哉『暗夜行路』→
信濃前司行長ら『平家物語』→
子母沢 寛『勝 海舟』→
城 昌幸『怪奇製造人』→
関口良雄の『昔日の客』→
瀬戸内晴美『美は乱調にあり』→
染谷孝哉『大田文学地図』→
高見 順『死の淵より』→
辻 潤『絶望の書』→
辻 まこと『山の声』→
辻村もと子『馬追原野』→
中原中也「お会式の夜」→
野村 裕『馬込文士村の作家たち』→
萩原朔太郎 『月に吠える』→
萩原葉子『天上の花』→
林鵞峰 『桃雲寺再興記念碑』→
広津和郎『昭和初年のインテリ作家』→
藤浦 洸『らんぷの絵』→
プロコフィエフ『彷徨える塔』→
堀 辰雄『聖家族』→
牧野信一『西部劇通信』→
真船 豊『鼬(いたち)』→
間宮茂輔『あらがね』→
三島由紀夫豊饒の海』→
南川 潤『風俗十日』→
三好達治『測量船』→
村松友視力道山がいた』→
室生犀星『黒髪の書』→
山本周五郎『樅ノ木は残った』→
吉屋信子花物語』→


思想犯の獄死、400名超?(昭和8年2月20日小林多喜二特高の拷問により死去)

馬橋まばし (東京都杉並区)の家に帰ってきた小林多喜二を囲む人たち。前列中央の眼鏡の人物は 立野信之たての・のぶゆき 、2列目右から2人目の衣服の一部が首輪のように見える人物が岡本 唐貴とうき 、2列目左端の眼光鋭い人物が千田是也せんだ・これや のようだ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:四国新聞社/小林多喜二、虐殺後の写真発見/母ら悲嘆の様子伝える→

小林多喜二
小林多喜二
昭和8年2月20日(1933年。 87年前の2月20日)、 小林多喜二(29歳)が、築地警察署(東京都中央区築地一丁目6-1 map→)の特高警察に捕らえられ、3時間以上の拷問を受け、同日19時45分に死亡しました。

警察は死因を心臓麻痺としましたが、翌日、遺族にもどされた多喜二の体には、広範囲にわたるどす黒いアザ、首を締められた跡、釘か錐で刺された跡が無数にありました。彼の死を悼んで通夜・告別式に来た人たちもことごとく検束されます(「新潮日本文学アルバム」、「新潮45」)。

駆けつけた佐多稲子(29歳)は、亡骸にすがりついて慟哭する母セキの姿を『二月二十日のあと』で描出(翌3月に発表)。多喜二は母を人力車に乗せるのが夢だったとのこと。

岡本 唐貴 とうき (コミック『カムイ伝』の作者・白土三平(しらと・さんぺい)の父)も駆けつけ、デスマスクを描いています。

多喜二の死を知って、志賀直哉(50歳)が日記に書いています。

小林多喜二、二月二十日(世の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持ちになる

プロレタリア文学に厳しい意見をもっていた志賀ですが、昭和6年、保釈された多喜二(28歳)が奈良の志賀(48歳)の家を訪ねて来た時、家族で出迎え、一晩家に泊めています。多喜二の死後、彼の母に慰めの手紙も書きました。

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当時の警視庁特高部長は安倍 源基 げんき (戦後、A級戦犯容疑で逮捕されたが、昭和23年に不起訴・保釈。全国警友会連合会会長などを歴任する。昭和31年の参院選自民党公認で山口地方区から出るが落選。岸 信介との関係が深い)で、その配下の、特高課長の毛利 基 もとい (戦後、埼玉県警幹部)、特高係長の中川成夫(戦後、滝野川区(東京都北区南部にあった)区長、東映取締役)、警部の山県為三(戦後、スエヒロを経営)の3人らが取り調べにあたったようです。安倍が特高部長だった昭和8年には、多喜二を含め19名が取り調べ中に死亡。

多喜二らはどういった拷問を受けたのでしょう? 昭和3年の「大検挙(三・一五事件)」のおりに検束者が受けた拷問を、多喜二が取材をもとに『一九二八年三月十五日』に書いています(この小説で多喜二は特高からの強い反感を買ったとされる)。

・・・裸にされると、いきなりものもいはないで、後から 竹刀 しない でたたきつけられた。力一杯になぐりつけるので、竹刀がビュ、ビュッとうなって、その度に先がしのり返った。彼はウン、ウンと、身体の外面に力を出して、それに堪えた。それが三十分も続いた時、彼は床の上へ、火にかざしたするめのようにひねくりかえっていた。最後の一撃(?)がウムと身体にこたえた。彼は毒を食った犬のように手と足を硬直さして、 空 くう へのばした。ブルブルっと、けいれんした。そして、次に彼は気を失っていた。 ・・・(中略)・・・水をかけると、息をふきかえした。・・(中略)・・・「この野郎!」一人が渡の後から腕をまわしてよこして、首をしめにかかった。「この野郎一人で、小樽がうるさくて仕方がねエんだ。」
 それで渡はもう一度気を失った。
 渡は警察に来るたびに、こういうものを「お巡りさん」といって、町では人たちの、「安寧」と「幸福」と「正義」を守って下さる偉い人のように思われていることを考えて、 何時 いつ でも苦笑した。・・・(中略)・・・
 渡は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされるたびに、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点ぐらいにギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
「殺せ、殺せ──え、殺せ──え !!」
それは竹刀、平手、鉄棒、細引でなぐられるよりひどく 堪 こた えた。・・・(中略)・・・針の一刺しごとに、渡の身体は跳ね上った。
「えッ、何んだって神経なんてありやがるんだ。」
渡は歯を食いしばったまま、ガクリと自分の頭が前へ折れたことを、意識の何処かで意識したと思った。・・・(小林多喜二『一九二八年三月十五日(原題:一九二八・三・十五)』より) ※参照:『蟹工船 一九二八・三・一五(岩波文庫)(Amazon→)』

「三・一五事件」では北海道小樽だけでも200~300名が捕まり拷問を受けました。上の文の「渡」は小樽合同労組組織部長だった渡辺利右衛門がモデル。当時は伏字だらけでしたが、勝本清一郎が命がけで元原稿を守ったとのこと。

女性も裸にされたり、傘の先で局所を突かれたりしています(「横浜事件を生きて [DVD] 」(ビデオプレス)Amazon→)-。

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多喜二に限らず、戦前、思想犯として数十万人が逮捕され、その内7万人以上が送検、400名以上(1,503人とも)が獄死したとされます(「朝日新聞」(平成29年6月1日朝刊山口・1地方))。

当地(東京都大田区)にゆかりある人に限っても、日本プロレタリア作家同盟の城南地区のキャップだった高見 順(25歳)が、多喜二が死亡したのと同じ月に大森警察(東京都大田区大森中一丁目1-16 map→)に拘留され、本庁から来た特高刑事に「お前も多喜二のようにしてやるぞ」と脅されながら拷問を受けました。 多喜二の死は、格好の見せしめになったのです(『高見 順 人と作品』)。

やはり同年(昭和8年)、全協の中央部にいた間宮茂輔(34歳)も投獄され、拷問を受けました。 3年後に出獄した時は歩けないほど衰弱していました(『六頭目の馬』)。

多喜二の死の4年前(昭和4年)、当地(東京都大田区馬込)で逮捕された日本共産党幹部の市川正一(37歳)は、下獄して16年経った昭和20年3月、宮城刑務所で死去。身長168センチでしたが体重が31キロになっていたそうです。53歳でしたが、刑務所は死因を「老衰」としました (『不屈の知性』)。

宗教も弾圧されました。当地(東京都大田区糀谷)に拠点があった「日蓮会殉教衆青年党」(「死のう団」はその蔑称)が、法華経の「 不惜身命ふしゃくしんみょう 」の精神で「死のう」と唱えながら行脚していたところ、神奈川県警の特高に拘束され、拷問を受けました。彼らが政治家や他派宗教家の暗殺を計画しているといった警察発表を新聞はそのまま垂れ流してしまったようです。やはり昭和8年のこと(「月刊おとなりさん」)。

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昭和18年6月、創価学会の初代会長・牧口常三郎(72歳)、2代目会長・戸田 城聖じょうせい (43歳)を含む学会幹部たちも、治安維持法不敬罪で逮捕されて、牧口は昭和19年11月18日、獄死しています。創価学会の方々も「治安維持法の恐さ」(当局が内心を計り検挙できる)を語り継いでいることと思います。 ●「安全保障関連法に反対する創価大学創価女子短期大学関係者 有志の会」→

昭和17年に起きた「横浜事件」では、雑誌編集者や新聞記者ら60名ほどが治安維持法違反で逮捕され、拷問を受け、内4名が死亡。「改造」と「中央公論」は廃刊に追い込まれます。

外国の人では、朝鮮半島出身の詩人・ 尹 東柱 ユン・ドンジュ (Wik→)が、同志社大学英文科在学中(立教大学より編入)、治安維持法違反で逮捕され、服役中に死亡。

荻野富士夫『特高警察 (岩波新書) 』 内田博文 『治安維持法共謀罪 (岩波新書) 』(平成29年発行)
荻野富士夫『特高警察 (岩波新書) 』 内田博文『治安維持法共謀罪 (岩波新書) 』(平成29年発行)
■ 馬込文学マラソン
佐多稲子の『水』を読む→
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
・ 高見 順の『死の淵より』を読む→
・ 間宮茂輔の『あらがね』を読む→

■ 参考文献:
●「プロレタリア作家・小林多喜二の拷問死」(菊地正憲) ※『新潮45』 平成18年2月号 P.62-64  ●『小林多喜二(新潮日本文学アルバム)』 (昭和60年発行) P.81、P.94-96、P.108  ●『志賀直哉(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行) P.76、P.107  ●『高見 順 人と作品』 (石光 葆 清水書院 昭和44年初版発行 昭和46年2刷参照)P.57  ●『六頭目の馬 ~間宮茂輔の生涯~』(間宮 武 武蔵野書房 平成6年発行)P.179-193  ●『不屈の知性 ~宮本百合子・市川正一・野呂栄太郎・河上 肇の生涯』(小林榮三 新日本出版社 平成13年初版発行 平成13年2版参照)P.148  ●『凛として立つ(佐多稲子文学アルバム)』(菁柿堂 平成25年発行)P.74-75  ● 『昭和史発掘(5)』(松本清張 文藝春秋 昭和42年初版発行 昭和49年27刷参照)P.290-291  ●「死のう団事件」※月刊「おとなりさん」(平成17年2月号 P.15~25 ハーツ&マインズ)  ●「27年前の「横浜事件」映画 続々再上映/言論封じへの危機感/「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」」(「東京新聞(夕刊)」平成29年5月15日)

■ 参考サイト:
ウィキペディア小林多喜二平成31年1月14日更新版)→  安倍源基(平成31年1月3日更新版)→  治安維持法(平成29年2月15日更新版)→  創価学会(平成29年2月18日更新版)→  横浜事件平成31年1月27日更新版)→ ●コトバンク治安維持法→  ●「蟹工船日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。/1933年3月15日 多喜二労農葬→  ●日本共産党/「しんぶん赤旗」/小林多喜二の小説「一九二八年三月十五日」のモデルは?(2007年3月15日)→  小林多喜二らを虐殺した特高に勲章 本当ですか?(2006年8月17日)→

※当ページの最終修正年月日
2018.2.20

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