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5・18前日、戒厳令違反で拘束された青年文在寅、留置場で惨状聞く
5/18(月) 7:33 Yahoo!ニュース 21
文大統領が語る「5・18と私」  「ソウル駅回軍、軍投入の口実を与え 光州市民だけが戒厳軍と戦うことに」  「5・18になると思い出すのは 光州を広げた盧武鉉元大統領」
文在寅大統領が12日、大統領府の常春斎で今年40周年を迎えた5・18民主化運動の意味と歴史的課題について、光州文化放送(MBC)のインタビューに答えている。同局の特別企画『文在寅大統領の5・18』は17日午前に放送された=大統領府提供
 1980年5月18日、28歳の「青年文在寅(ムン・ジェイン)」は、清涼里(チョンニャンニ)警察署に収監されていた。前日に非常戒厳令が拡大し、戒厳布告令違反で警察に即日拘束されたのだ。文大統領に5・18当時の光州の生々しい状況を教えたのは、ほかでもない警察だった。

 文大統領は17日、光州文化放送(MBC)の特別企画『文在寅大統領の5・18』に出演し、40年前の記憶を回顧した。文大統領は「清涼里警察署の留置場に収監されていた時、私を調査した警察官からそのことを聞いた。当時のその警察官は、戒厳軍が光州に投入されたことについてかなり批判的な考えを持っていた」と述べた。警察は戒厳軍による発砲、市民軍の抵抗など「警察情報網」を通じて上がってくる情報を詳しく教えてくれた。しかし、このような内容は当時、メディアでほとんど報道されなかった。文大統領は「そのような事実は当然すべてメディアで報道されていると思っていたが、後に釈放されて見ると、ほとんど報道されていなかった。むしろ逆に暴徒たちによる暴動のように歪曲されているということを知った。私は光州の外である意味もっとも先に光州の真実に接した者の一人と言える」と述べた。

 文大統領は、光州市民が直面している大きな苦しみを聞いて、大きな罪悪感を感じたという。「1980年5月初めから毎日のように、ソウル駅にソウル地域の大学生が集まって民主化を要求する集会デモを行っていたが、日増しに数が増え、5月15日には実に20万人がソウル駅に結集した。しかしその状況の中で軍が投入されるとのうわさが広まると、当時集会を率いていたソウル地域の各大学の総学生会の会長団が解散を決めた」と述べた。軍が介入する大義名分を与えるとして解散を決定したいわゆる「ソウル駅回軍」事件だ。文大統領は「今その時の学生会長団の決定を非難する考えは全くないが、いずれにせよ結果的に、ソウル地域の大学生たちが民主化を要求する大々的な集会を行うことで、軍が投入される口実を提供しておいて、結局は決定的な時に退却する決定を下したことにより、光州市民は本当に孤立して戒厳軍に立ち向かうことになった」と述べた。

 文大統領は、5・18になると思い出す人に盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を挙げた。「80年代以降の釜山地域の民主化運動は光州を伝えるものだった。盧武鉉弁護士を、光州を広げた方として記憶したい」
ソ・ヨンジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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最終更新:5/18(月) 8:03
ハンギョレ新聞
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