■■雄文 『シナリオ・ライターの僕の「これまで」と「これから」』     



『シナリオ・ライターの僕の「これまで」と「これから」』   



第一章 僕の一週間が始まる・・・・・・・・・
第二章 僕達の仕事・・・・・・・・・・・・・
第三章 玲子の家の事情・・・・・・・・・・・
第四章 玲子の行動・・・・・・・・・・・・・
第五章 また、僕の一週間が始まる・・・・・・第一章 僕の一週間が始まる



僕は、仕事仲間からシナリオ・ライターと呼ばれている。自分で言うのは、おこがましいけれど、その仕事ぶりは、結構、感謝されている、と思う。
しかし、僕の名前は世間では全く売れていない。
これはしょうがない。
かなり狭い領域でのライターだし、第一に有名になりたいなんて願望は、ちっぽけも持っていない。

僕は、日曜日の午後五時、小金井市M町の古びたアパートの一室を出た。
アパートは木造の二階建で、建ててから四十年は経過しているのではないか。
元々の造りが安普請であり、その上、経年変化がかなり進んでいる。
冬には、そこかしこから隙間風が入り込み、石油ストーブを点けていても寒い。毛布を体に纏い、酒を煽り、暖を取る。
夏は熱気が室内に侵入してくる。その上、クーラーの効きが悪い。仲間から貰った扇風機を強で回しても、汗まみれになる。陽が沈むと、建てつけの悪い窓を開け放ち、外気を取り込もうとするが、状況は変わらない。タオルで汗を拭っても、そのそばから大汗が噴き出してくる。
こんな、オンボロなアパートに住み始めてから三年が経つ。引っ越すことを何度か考えたが、ここには一週間の内、数日過ごす程度なので我慢している。

裏通りを歩き、武蔵小金井駅に着く。
中央線の下りに乗り、隣の国分寺駅で降りる。
南口にある大きなスーパーで食材を買い求める。
今週(僕達の仕事は日曜日始まりである)、食料の調達当番は僕なので、自分と仲間の一週間分の食料品を見繕う。
四つの大きなレジ袋に食材を詰め込み、駅から十分ほど歩いたところにあるマンションに向かう。
途中の上り坂はきついが、十月の夕刻は心地よい風が吹き、汗は出ない。

クリーム色のマンションは八階建てで、ワンフロアに六世帯が住んでいる。築二十年以上が経過し、室内外共に、やや劣化が進んでいる。
エレベーターのカゴはゆっくりと、やや不規則なスピードで三階に到着する。
カゴを降り、暗い廊下を少し歩くと、一番奥の部屋の玄関前に辿りつく。
テレビドアホンのボタンを押す。
室内の仲間がドアホンの画面で僕を確認する。
少しすると、開錠された。

「おはようございます」
と僕。
「おはよう」
と仕事仲間の良治さんが応えてくれる。

僕達は、いつでも朝の挨拶を交わす。
まるで芸能人のようだが、その理由は知らない。
僕がこの仕事に就いた時から、そうだった。

305号室は角部屋の2LDKである。
玄関を入ると短い廊下が続き、左手に四畳半のダイニングキッチンがあり、その部屋の向こうには六畳の洋室が続いている。
廊下の右手には、トイレと風呂場があり、廊下の突き当りには六畳の和室がある。
僕は、買い求めた食材をダイニングキッチンの冷蔵庫に収める。
冷蔵庫は大きめの2ドアであるが、前週からの余った食材も入っている。
そこに僕と仲間二人の一週間分の食材を収めるので、庫内は一杯になってしまう。奥に詰めた食材は取り出しにくいが致し方ない。
冷蔵する必要のない野菜等は、冷蔵庫の横に据えたポリプロピレン製の屋外収納用のストッカーの中へ収める。これは、ひと一人が入れるような大きさで、楽に移動できるようにキャスターが付いている。

収め終わると、僕はダイニングキッチンを通り抜けて、洋室の引き戸を開ける。
この部屋は僕達の仕事場だ。
三人分の事務机と椅子が設置されている。引き戸のある面を除いた他の三面の壁に向かって、それぞれの机が置かれている。
つまり、三人は背を向けて座ることになる。
右側の壁を除く、二面の壁にはガラス窓が嵌め込まれているが、昼間でも黒い遮光カーテンを下している。
暗いので昼間でも天井灯を点灯している。

「邦彦さん、おはようございます」
僕は真ん中の机に向かって座っている邦彦さんの背中に声を掛けた。
彼は背を向けたまま、右手を上げて僕の挨拶に応えた。
「今日、新しい名簿が手に入ったよ」
左側の机に向った良治さんが言う。
「今回は、三人で使ってみよう」
と邦彦さんが続けて言う。
「邦彦さん、ありがとうございます。助かります」
と僕。
「良い名簿だと良いけどね」
と邦彦さんが言った。

それぞれの机の上には一台の携帯電話、A4版のコピー紙の右上をホチキスで綴じた小冊子、メモ帳、ボールペン、そしてB5版の名簿のコピーが置いてある。
小冊子の表紙には、左上部にシナリオ№1と打たれていて、ページをめくると、シナリオ№の数が増えていき、最終頁には№20とある。
それぞれのページには数行の文字の列が書かれていて、その末尾からは矢印が数本引かれている。矢印の先には、また文字列が記載されている。
一方、名簿のコピーの表紙には、私立〇〇高校及び私立□□高校、その他卒業名簿と印字してある。
原本そのものがかなり傷んでいるのか、コピーも一部鮮明なところがある。
しかし、この新しい名簿が良い名簿であるかどうかは、まだ分からない。

「さあ、七時になったよ。今日のお勤めを始めるぞ」
邦彦さんが僕達を促した。

第二章 僕達の仕事

「もしもし、扁桃腺が腫れちゃって、熱も出てて喉が痛くて、明日、病院に行こうと思うんだけど、内科でいいかな」と僕。
「吉田さんのお宅ですか。立川警察署刑事課の田中と申します。夜分遅く相済みません。少々、お時間を頂けますでしょうか」と邦彦さん。
「銀行協会の者です。オレオレ詐欺事件で警察と協力しています。実は、あなた様の口座が振り込め詐欺に使われていることが判明いたしました。このままだと大事な預金が下ろせなくなります。」と良治さん。

――――――――――

特殊詐欺。
振り込め詐欺と、それに類似する手口の詐欺の総称である。
振り込め詐欺とは、「オレオレ詐欺」、「架空請求詐欺」、「融資保証金詐欺」、「還付金詐欺」等を総称したものである。
特殊詐欺の被害額は、最悪だった2014年には、565億円であった。
その後、減少しているとはいえ、2017年度の被害額は約390億円である。つまり、詐欺グループは一日あたり一億円を手に入れている。
一方、被害件数は、一万8201件で7年連続の増加となっている。
被害者の7割は、65歳以上の高齢者である。
手口別に見ると、「オレオレ詐欺」が8475件と最も多く、「架空請求詐欺」が5754件、「還付金詐欺」が3137件と続く。これら三つの手口で全体の95%を占める。
検挙件数は4654件と3年連続で増加し、検挙者数は2490人であった。
摘発された犯行グループの拠点数は、68カ所だった。

――――――――――

僕達は小冊子のシナリオ集から、自身でシナリオを選び、名簿をめくり電話を掛けまくる。
僕は一番年が若いので、息子役や孫役を演じることが多い。
リーダーの邦彦さんは年を食っているので、刑事役や弁護士役が多い。
良治さんは、年の割には声が若々しいので、息子役と刑事役の両刀使いだ。

この日、僕は調子が良かった。
二本目の電話でお客様が引っかかって来た。

「ああ、俺、俺だよ」
「ああ、修」
「うん、大丈夫だけど、すごく喉が痛くて」
「熱? 39度近くある」
「明日の朝、病院に行くよ。内科で良かったけ?」
「内科だね。分かった。明日は家にいる?」
「じゃあ朝一番で病院行って来るから、終わったら、結果を電話するよ」
「あっ、ごめん言い忘れたけど、今、携帯が壊れてて修理に出していて、代わりの電話を使ってるから番号を伝えとくよ。いい? 090-4660-××××。じゃあ明日、終わったら電話する」

早々にアポを一件、ゲットだ。
しかし、喜んでいる余裕はない。
このアポを何件ゲットできるかが、明日の成果につながる。
僕は名簿から次のターゲットを選び、携帯電話のキーパッドを押した。

「もしもし、扁桃腺が腫れちゃって、熱も出てて喉が痛くて、明日、病院に行こうと思うんだけど、内科でいいかな」

――――――――――

「じゃ、そろそろ、飯にするか」
邦彦さんが、今日の仕事の終了を告げた。
部屋の時計を見ると、二十三時十分だった。

「この名簿、結構、使えるな」
良治さんが言う。
「そうですね。僕でさえ、今日、二十件近くのアポをゲットできましたから」
「おっと、今週の晩飯は俺の番だったよね」
良治さんが椅子から立ち上がり、キッチンに向かった。
「楽しみだなあ、良治さんの料理。今日は何かな」
「ハハハ、冗談きついぞ」

僕達「掛け子」の仕事は、「与えられた携帯電話を使い、渡された名簿に載っている人達に電話を掛け、与えられたシナリオに従って詐欺話を信じ込ませ、お客様の金をボスの口座に振り込ませるか、或いは、直接、僕達の仲間である受け子に金を手渡し、ボスに届けるように誘導する」ことである。なお、ボスとは、僕達の雇い主であり、黒幕でもある。
僕達は僕達の話を信じてくれる人達をお客様と呼んでいる。そのほとんどは、それなりの金を持っている高齢者だ。
カモなんて呼ぶグループもあるが、僕達の仕事を成り立たせて頂いている方々なのだから、それは失礼だ。
僕達は、まずはお客様との接点を作らなくてはならない。
最初の電話で僕達を信じてもらう必要がある。
そのために、いろいろなシナリオが用意されている。
息子や孫に扮する場合のポイントは、自分の携帯電話が故障し使えなくなり、代替機の電話番号を伝え、翌日にこっちから電話することの約束を取ることだ。
いずれにしても、お客様との最初のコンタクトを僕達はアポイントメント、略してアポと呼んでいる。

ボスから支給され、使用している携帯電話は、勿論、他人名義のものだ。
問題があれば、つまり、携帯番号などがバレたりしたら、次の携帯が速やかに支給される。
携帯電話は僕達の仕事には欠かせない、言ってみれば、三種の神器の一つだ。

もう一つの神器は名簿である。
実は、僕達の仕事が上手く行くかどうかは、その多くが名簿にかかっている。
他のグループが既に使用した名簿を使っても、僕達の話を聞いてはくれない。何度も、こうした電話を受けている人達は、いくら僕達が上手く話しても、信じてはくれない。
だから、これまで出回っていない名簿が入手できると、アポを取れる確率はかなり高まる。
しかし、どんな名簿でも良いというわけではない。
経済的に潤っている人達を網羅したものの方が効率が良い。例えば、学校の卒業生の名簿であれば、公立より私立が望ましい。
名簿もボスから支給されるが、若造の僕には、新しい名簿はなかなか回って来ない。
まずは、邦彦さん、そして、次に良治さんが使ってから僕の手元に来ることになっている。
しかし、この日は、不調が続いている僕のために、邦彦さんが気を遣って、新しい名簿を僕にも使わせてくれた。

アポを取ると、相手の情報をメモに残しておく。
メモるべきは、名簿の氏名と住所、話した相手、電話で話した内容、更には家族構成など電話で知ることのできた情報、電話番号や携帯電話番号などである。
僕が演じる息子役においては、息子が結婚している場合、奥さんや子供などの名前等はリアリティを保証してくれる大事な情報になる。

この日、良治さんが作った晩食、というより夜食は、「月見ラーメン」だった。
即席の袋麺と沢山の長ネギを煮て、生卵を落としただけのものだったが、美味しかった。


男所帯なのでカップ麺の方が手軽である。
週に一度くらいは、そんな日もあるけれど、袋麺の方が肉や野菜を乗せて食べるので栄養のバランスが良いし、第一、ゴミが出ない。
だから、インスタントラーメンは袋麺であることが多い。

僕達は、仕事場では酒は飲まない。
マンション内でトラブルが起きることを避けるためだ。
食事が終わると、一番の若手の僕が食器を下げて洗う。鍋も一緒だ。
その間、二人の先輩はテレビを見ている。
既に深夜で面白い番組は少なく、睡魔に襲われた者から和室に移動する。
和室には三人分の布団が敷いてある。

たかだか五時間余り、それも単に電話を掛けるだけの仕事であるが、体の芯がかなり疲れる。
鈍く重い疲労感から逃れるため、僕は、いつものように睡眠薬を飲み、布団に潜った。


睡眠薬は、使用期限が近づいたり、あるいは期限の切れた睡眠薬を仲間から安く大量に買い求めている。
効き目に変わりはない。

――――――――――

朝八時、僕は目覚まし時計のアラーム音で起きる。
まだ寝ている先輩達に気を遣い、時計の音の出るところにガムテープを張り、音量を下げている。
朝食の準備は、およそ僕の仕事だ。
といっても、トーストと目玉焼き、それにインスタントコーヒーだけだ。
トーストは、まずは一斤の食パンから三人のそれぞれの好みの厚さにパンを切ることから始まる。
邦彦さんはほぼ六枚切りの厚さ二センチ、良治さんは四枚きりの厚さ三センチ、そして、僕は、超厚切り仕様で厚さ四センチだ。この厚さのものは町では売っていない。言ってみれば三枚切りだ。
五年前、アルバイト先の先輩に話を聞き、試してみたら、その旨さに驚いた。
ただ、邦彦さんからは「勘弁して」といわれる。年を取った人にはきついのか。
オーブントースターには三枚がギリギリ入るが、厚さが違うので、入れる順序がポイントだ。
一律に表面が半分くらい焼けたら、たっぷりのバターを乗せて、バターが溶けるのを待つ。

パンを焼いている間、目玉焼きを作るが、半熟なので時間は掛らない。
インスタントコーヒーにお湯を注ぎ入れたら、全てを食卓に配膳する。
その頃、邦彦さんと良治さんが起きて来て、テレビの情報番組を見ながら食事を摂る。


皆、ほとんど無口だ。

僕は早めに席を立ち、洗濯機を回す。
僕達の下着や靴下を洗濯するが、種類や量は少ないので二日おきくらいだ。
外の目を気にして、ベランダに干すことはしない。
寝室に部屋干しするので梅雨時には乾きが悪く、生渇きとなってしまう。
狭い仕事場に、あの匂いが充満し、皆で難儀することもある。あの匂いに慣れることはないようだ。

九時、その日の仕事を始める。
昨日ゲットしたアポに電話をして、いよいよ、お客様から金を頂戴する段取りとなる。


但し、アポを取ったにしても、電話の後に相手が本当の息子などと連絡し合ったりしていることがあって、次のステップに進める数は確実に減少している。

「ああ、俺、修」
「今、病院に行ってきたんだけど、急性扁桃腺炎だって。喉が治るには二、三日かかるって言われたけど、点滴を打ってもらったら、だいぶ楽になった」
「今、もう仕事に向かってる」
「いや、休まなくても、大丈夫」
「病院の先生が言ってたんだけど、急性扁桃腺炎って、やっぱり精神的なストレスからくるみたいなんだ」
「それが、ちょっと色々あって」
「実は、会社の金で株に手を出したら、大損しちゃって・・・」
「株価が上がって確実に返せると思ったんだけど」
「で、今日の午後に会社に監査が入るんだ。監査前にお金を戻せば何とかなるんだけど」


「無理ならいいんだ。だけど、俺、会社から横領で訴えられちゃう・・・」
「そう! 助かるよ」
「百万円で良いよ」
「これから家に会社の仲間を向かわせるので、彼に現金を渡して欲しい」

「お客様、獲得だね」
邦彦さんが僕の方を向き、笑いかけてくる。
「ありがとうございます」
「すぐに受け子に連絡しないとね。最近、受け子は芳しい人が少ないからね」
「はい」

僕は受け子が網羅されたリスト¬を机の引き出しから取出し、その中から二十歳代の男を選び、電話を入れた。
「引っ掛けたのは、シナリオ№14だから、貴方の役割は、会社員の息子の後輩社員だよ」
「息子の名前は修で、三〇歳代の後半」
「ビシッと背広を着て、ネクタイをぶら下げて、急いで次の住所に向かって欲しい」

受け子に指示を終えると、残ったアポへの連絡を入れ続けた。
朝九時から、およそ午後二時くらいまで、昨日取った全てのアポに対して電話を掛けまくる。
しかし、結局、この日、僕が上手くいったのは、この一件だけだった。

その後、三人で遅い昼飯を食べる。
今週の昼食は邦彦さんの番だ。
邦彦さんは実に美味しい料理を作る。昔、コックだったとチラッと聞いたことがある。


この日は、ビーフストロガノフだった。午前中からキッチンから良い匂いがしていたので、仕事をしつつ、仕込みをしていたようだ。
酸っぱ味の強いデミグラスソースと柔らかい牛肉が僕達を黙らせ、唸らせる。正直、お店で食べる水準だと思う。

昼飯を食べた後は自由時間となる。
外に出ることはお互いに禁じているので、テレビやゲームに興じた後、昼寝をする。

陽が沈み、少し経つと、三々五々起きて来る。
午後七時近くなると、それぞれの席に着き、アポ取りのために、また電話を掛け始める。



僕達の、こんな生活は日曜日の夕方から金曜日の昼まで続く。
金曜日の午後と土曜日、そして、日曜日の午前中が休みとなる。言ってみれば、変則週休二日だな。
こんな生活を三年ほど続け、昨日、僕は二十五歳になった。

――――――――――

受け子の、背広を身に着けた若い男は、百万円が入った封筒を受け取った。
「ありがとうございます。何卒、宜しくお願いします」
七十歳くらいと思われる老婆は深々と頭を下げた。
目はうろたえ、小刻みに震えている。
「お母さん、修さんに確実にお届けしますので、ご安心ください」
受け子は踵を返し、とある駅に向かった。
駅のコインロッカーに封筒を入れ、立ち去る。
少しすると、集金が役目の者が来て、ロッカーから封筒を取り出し、移動し、次のコインロッカーへ封筒を収める。
次に最終の集金役が来て、封筒を取り出し、ボスの手元に届ける。
通常、最終の集金役が手にするまで複数の集金役を介在させるのが普通であるが、金額が少なければ、一人だけの場合もある。

僕達、掛け子の手取りは、お客様から頂戴した金額の15%と決まっている。
つまり、この日、僕の出来高は百万円だから、十五万円が手取りとなる。
一日で十五万円というと、かなりの荒稼ぎと思われるかもしれないが、こんな日ばかりでない。
一週間まったく成果がない、なんてことはザラである。
だから、上手く行ったときは、その相手に対し連続して電話を入れて、次から次へと話を信じさせ、雪だるま式に金を増やしていく。
これまで、僕が一人のお客様からゲットした最高金額は、三百万円だ。

僕は、僕達のボスとは会ったことはない。
僕達の班のリーダーの邦彦さんが、一週間に一度、金曜日の昼にボスの元に通い、前週の僕達の稼ぎを貰ってくる。
その日の午後、僕と良治さんは、邦彦さんから現金を手渡しでもらう。

現金は茶封筒に入れて貰うのだが、先月から良治さんが貰う封筒がパンパンに膨れている。
機嫌もすこぶる良い。
カマを掛けて聞いてみると、案の定だ。
「いいお客様見つけてさ」
「どんな人なんですか?」
「先月、釣り上げた一人暮らしのおばさんで、言うこと全てコロコロ信じてくれるんだ」


「良いなあ。どのくらいゲットしたのですか?」
「そうよな、手取りで三〇〇万円は行ってるなぁ」
「うう、すげ~。じゃ、そのおばさんは二千万円以上は出しているンだぁ。スゲー」
「アハハ」
「まだ、続いているんですか?」
「そうなんだ」
「羨ましてなあ」
「そうだ。君にも分け前を出さないとね。だって、君のシナリオのお蔭もあるからね」


良治さんは小さな目を輝かして言った。

――――――――――

僕達の三種の神器のうち、二つは既に紹介したが、最後の一つはシナリオである。
最近は警察の追及が厳しく、詐欺の具体的な手口をそのホームページに掲げ、こうした話には気を付けようと訴えている。
犯人との電話でのやり取りを録音した、生々しい音声データも掲載されている。
従って、見聞きしていない、新鮮なシナリオが必要となって来た。
とはいうものの、これまでの使い古されたシナリオが使えれば、僕達も、その対応に慣れているので、楽だ。
しかし、やはり成功率は徐々に下がって来ている。
これは、陳腐化したシナリオだけのせいではないだろうが、新しいシナリオに対するニーズはなくならない。

僕がシナリオライターと呼ばれているのは、詐欺の新しいシナリオを書いているからである。
昔から文章を書くのが好きだった僕に、自然と、その役目がまわって来た。
シナリオで大事なことは、相手とのやり取りの中で、話がいろいろな方向に向かうので、それぞれを想定し、複数の展開話を用意することだ。
なにしろ、話の展開は急だから、シナリオには矢印を書いて、いろいろな展開を図示しておく。
こうして、ビジュアル的に取りまとめておくと、本番での対応が利く。
僕のシナリオの評判が良いのは、この書き方もあるのだと思う。

シナリオの作成にあたっては、邦彦さんや良治さんの経験談が役立つ。
二人とも自分の過去については多くは語らないが、邦彦さんは五十代、良治さんは三十代に見える。
それぞれ、掛け子としての経験は十年くらいありそうだ。

――――――――――

或る日の午後、昼寝をしていると、邦彦さんの携帯が鳴った。
無視をするのが普通だが、邦彦さんは携帯の画面を見るや否や、すぐに出た。
「はい」
「了解です」
「班のメンバーに徹底します」
「失礼します」

そのやり取りから、電話の相手がボスだと知れた。
電話を切ると、目を覚ました良治さんと僕に話し始めた。

昨日、仲間の集金役が一人捕まった。
コインロッカーに金を入れた直後、警察官に囲まれ、補導された。中学生だった。
最近の集金役は、高校生や中学生が小遣い稼ぎで行うことが多い。
彼らの報酬は、だいだいは振込金額の数%程度だから、大きな仕事にありつけば、まずまずの稼ぎになる。
今回、逮捕されたのは中学生だというから、彼にとってはかなりの大金のはずだ。
集金役は、金の移動のみが仕事であり、ロッカーに預けた金がどうなるかは知らない。その後に、誰が取りに来るのかも知らない。
従って、彼らが逮捕されても、イモずる式に僕達、掛け子や、ましてやボスに捜査の手が回ることはほぼない。
とは言え、仲間が逮捕された以上、いつもより振る舞いに注意しなくてはならない。
そんな留意を促す電話だった。

「運が悪い中校生だな」
良治さんが言う。
少年鑑別所、或いは少年院送りだな」
邦彦さんが言う。
「・・・」
僕は黙ったままだった。

第三章 玲子の家の事情

戸田玲子は二ヶ月振りに青梅市の実家に戻った。
彼女は渋谷駅近くの中堅商社に勤めているが、青梅からの通勤は時間が掛かるので、阿佐ヶ谷にマンションを借りて住んでいる。
男勝りの仕事振りと強気な判断力を認められ、昨年、管理職に登用され、忙しい日々を送っている。今年の春に三十八歳になったが、自身を含めて誕生日を祝う機会はなかった。
ここ五年、恋愛とは縁がないが、諦めたわけではない。前髪を眉全体が見えるギリギリの位置で切り揃え、全体は黒髪のストレートロングにして、より若く見えるよう気を遣っている。

青梅市H町の実家には六十歳を超えた母親が一人で住んでいる。
玲子は、一ヶ月に一度は母の顔を見に来ようと決めているが、今回は間が空いてしまった。

いつものように前日に電話を入れ、帰ることを伝えた。
母親の声に元気がないのが気になったが、風邪気味だと聞いたので、特に心配はしなかった。
しかし、玄関を開けて、俄かに心が陰った。
いつもなら明るく出迎えてくれる母がその場にいない。
「お母さん、居るの?」
玄関のドアを閉め、急ぎ、台所に入ると、母親の良子が食卓にうつ伏せ、頭を抱えていた。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
玲子が立て続けに問うても、良子はじっとしたまま、動かない。
よく見ると、細かく震えている。
「ああ、どうしよう・・・」
小さな声で、はっきり聞きとれない。
「何があったの? お母さん」
「お父さんに申し訳ない・・・」

良子は夫を十年前に白血病で失くしていた。
二人の子供がいて、一人は玲子、もう一人は長男の貴志であるが、五年前に家を出て音信不通となっている。

「一ヶ月前、貴志から電話が掛ってきて・・・」

話を聞くと、良子は息子に扮した詐欺グループに騙されて、息子の上司や後輩を名乗る男達に二千万円以上を手渡し、だまし取られていた。
そのほとんどは夫が残してくれた生命保険金だった。

最初は百万円程度であったが、次から次へと騙され、直近では五百万円を手渡していた。


偽の息子は会話の中で久し振りに実家に帰ることを約束してくれたが、二週間が経っても動きはなく、連絡も途絶えた。

「なんでお金を渡したの?」
玲子はやや語気強く言った。
「貴志が泣いて頼んできた・・・」
良子はか弱い声で答えた。
「貴志って、貴志じゃなくて、オレオレ詐欺の犯人じゃないの!」
「・・・」
「どうして、私に連絡くれなかったの?」
「貴志が誰にも言うなって・・・。恥ずかしいからって・・・」
「でも、私に電話くらいしてくれてもよかったんじゃないの?」
「お前に電話しようにも、いつもアパートにいないじゃないか」
そうではない、帰宅がいつも深夜だから、電話に出られないのだ。

翌日、玲子は良子を連れて青梅警察署を訪ね、被害届を提出した。
対応してくれたのは中年の女性警官であった。

事情を説明した後、「犯人は捕まるのですか」、「お金は戻るのですか」と玲子は、矢継ぎ早に質問をした。
しかし、返ってきたのは虚しい回答ばかりだった。

オレオレ詐欺は、毎日、全国で三十件近く発生していて、なおかつ犯人が判明しないことが多いこと。
役割分担が明確になっていて、仮に逮捕できても、組織の末端の受け子や集金役であり、元締めを逮捕するのは難しいこと。
そのため、犯人への金銭返還請求を誰に対して手続をすればよいのか分からないため、現実的には困難であること。
振り込め詐欺救済法」という法律ができたが、これは犯人に現金を手渡しした場合には、その適用が受けられないこと(良子は、全て自宅に尋ねて来た犯人に現金を手渡していた)。

そして、最後にこう言った。
「今後、更に犯人から電話が掛ってくる可能性があります。十分に注意してください」。



一時間後、玲子と良子は警察署の玄関から出て来た。二人とも気が抜け、ぼんやりした表情で、背を曲げ、肩を落としている。
婦警とのやり取りの際、玲子は、ときどき良子の様子を窺ったが、うなだれているか、無表情に中空を見続けているかだった。
乱れた髪が実際以上の年齢に見せていた。
その晩、玲子は一睡も出来なかった。
事件の悔しさと共に、母が少しボケ始めたように感じたからだ。

翌日の月曜日、玲子は会社を休み、良子と一緒に食卓の前で半日を過ごした。
二人とも一言もしゃべらず、時間だけが静かに過ぎていった。
こんな時、長男の貴志が家にいれば相談もできるのだが、家を出てから、一回の連絡も入れず、どこで生活しているのかも分からない。
頼りになる親戚はおらず、また、友人や知人には話せる話ではないし、仮に話したとして、どんな助けがもらえるのか、不明だ。
頼りになるべき警察も「できない」、「分からない」、「難しい」と、絶望的な話ばかりだ。

第四章 玲子の行動

玲子は中年の女性警察官が言った言葉を反芻した。
「更に犯人から電話が掛ってくるかもしれません。注意してください」
玲子は、その日の午後、阿佐ヶ谷のマンションに戻り、実家で一週間程度過ごせる衣類等を取りまとめ、青梅の実家に持ち込んだ。
会社には、母親の体調が優れないので、看病のために一週間ほど休む旨を改めて伝えた。


「犯人からの電話を待つ。そして、私が・・・」

それから数日経ったある日、午前十時過ぎに電話が掛って来た。
「はい、戸田ですが・・・」
「あっ、お母さん、貴志だよ」
玲子は固定電話のスピーカーホン機能のボタンを押し、相手の声が電話機から聞こえるようにした。
そして、鼻を少しつまみ、いつもより低い声で対応した。
「ああ、貴志か」
「五百万円、ありがとう。助かったよ」
「・・・。家には、いつ戻って来るのかい?」
「ああ、それなんだけど、実家に顔を出そうと思ったんだけど、会社の先輩が交通事故にあって入院しちゃったんだ」
「それは大変・・・」
「で、仕事が手一杯になっちゃって、直ぐに帰れないんだ」
「ほかに人はいないの?」
「中小企業だからね。俺が頑張らないと・・・」
「でも・・・。」
「ここ数日、先輩の状態が良くなくて、もっと良い病院へ急いで移転させなくてはならないんだ」
「その先輩に奥さんや家族はいないの?」
「一人者で家族は誰もいない」
「・・・」
「すごく世話になった先輩なので、出来ることはしたい。転院には金がかかるんだ。取り敢えず、建て替る形で、百万円・・・」
「・・・」
「ダメなんだね・・・、先輩・・・死んじまうよ」
「・・・。分かったよ」
「ありがとう」
「でも、家にはもう百万なんてない。用意できるのは三十万だけ。銀行で下ろしてくるから、時間が掛かるよ」
「じゃ、また、少ししたら電話するよ」

玲子は、二日前に下ろしておいた三十万円を大きめの封筒に入れた。封筒は実家にあった、とある銀行の名前が印字されたものだった。
二時間後、また電話が掛って来た。
「貴志だけど・・・」
「なんとか三十万は用意できたわよ」
「ありがとう。いまから会社の後輩が家に行くので、彼にお金を渡して欲しい」
「分かったわ」
「じゃあ」
「落ち着いたら家に戻って来るんだよ」
「ああ、分かったよ」

一時間後、玄関のチャイムが鳴った。
玲子から、あらかじめ指示を受けていた良子は玄関ドアを開けた。
怒りと恐怖で全身が小刻みにブルブル震えた良子は、ぎこちない動きだったが、訪問して来た男になんとか封筒を手渡すことができた。
「お母さん、大丈夫ですよ。確実にお届けしますので、安心してください」
男は、封筒を手提げカバンに素早く収めると、軽く会釈して、振り返り、歩き出した。


少し距離を置き、玲子が後に続いた。

男は、青梅駅で青梅特快に乗り、立川駅で降りた。
電車は空いていたが、男は座らず、ドアの横に立ち続けた。
二十歳くらいの男だ。
借り物なのか、上下共、背広のサイズが合っておらず、だぶついている。
男は北口を出て、真っ直ぐ歩いた。その先にはコインロッカーが並んでいる。
手慣れた様子だった。多く並んだロッカーの右端の一番上のロッカーを開けると、カバンから封筒を取り出し、しまい込んだ。
次にロッカー群の中央に設けられた操作画面に向かい、小さな券を引き出すと、周りを見渡すことなく、その場を去って行った。

玲子は、少し間を置き、男が使用したロッカーに近づき、確認してみた。
暗証番号付きロッカーだった。
空いたロッカーに荷を入れた後に、ロッカーに設けられた操作画面にそのロッカー番号を入力し、必要な金を投入すると、鍵番号が記載された小さな紙がプリントアウトされる。
預けた荷を出すには、その鍵番号を操作盤にインプットすると、使用したロッカーが開錠される仕組みとなっている。

「あの婦人警官の言う通りだとすると、この後、集金役が封筒を取りに来るはずだわ」


玲子は、コインロッカーが見渡せる、駅前のベンチに移動した。
携帯電話を操作しているように装い、電話の先に見えるコインロッカーを見続けた。
座り始めてから六時間が経ち、時刻は午後九時を過ぎていた。
何人かの酔っぱらった男に話しかけられたが、無視した。
この間、コインロッカーでモノを出し入れする人は数多くいたが、あのロッカーを開ける者は現れなかった。
玲子は空腹を覚えた。昼食は実家のキッチンにあった菓子パンを口に入れただけだった。


「明日かな」と思い、ベンチを立ち上がろうとしたとき、ショルダーバッグをたすき掛けにした中年の小太りの男がフラフラとコインロッカーの操作画面に近づいてきた。
「酔っ払い?」
玲子はそう思った。
しかし、次の瞬間、その男は覚醒したかのように、素早く操作盤に入力すると、右端の一番上のロッカーを開けた。
「集金役だ」
男は封筒を取り出すと、ショルダーバッグに押し込んだ。
周りを少し見回した後、男は立川駅の改札に向けて歩き始めた。
玲子は続いた。
男は改札口を入ると、中央特快に乗りこみ、三鷹駅で降りた。
振り返ることなく、駅の北口を貫くメイン道路を歩いて行った。
既にとっぷりと暮れている。
すれ違う者は酔っ払いが多い。
玲子は男を見失わないよう、しかし、見つからないように後を付けた。
男は少し歩くと、大きなマンションの玄関に入って行った。
少し遅れ、玲子も玄関に入った。
男がエレベーターに乗り込んだのを遠目に確認すると、急ぎ、乗り場に近づき、押しボタンの表示灯を見た。
カゴは九階で止まった。

それを見届け、玲子は道を隔てて建つマンションの脇に移動した。
「あの男は次のコインロッカーではなく、マンションの一室に封筒を届けた・・・」
「すると、あの男は最終の集金役?」
「すると、このマンションに住む男は組織の元締めか?」
さて、どうするか、アイデアの浮かばない玲子は、マンションの玄関の様子を見続けた。


腹の虫がグーグー鳴る。
十分ほど経つと、あの中年の小太り男が玄関から出て来た。
「たぶん、元締めに金を渡して、出て来たんだ。あの男の行方をさらに追えば何かが分かるはず」
玲子は強く確信した。
男は、マンション横の駐車スペースの方に入っていった。
「何だ? どこに行くのか」
少し間があった後、スクーターのセル音がしたと思ったら、男が乗った古びたスクーターが、玲子の前を唸って走っていった。

その晩遅く、玲子は青梅の実家に戻った。
良子は既に寝ていた。
玲子は台所の食卓で帰り際にコンビニで買った握り飯を頬張りながら、自分のノートブックパソコンを広げ、あのマンションをネットで調べた。
有名デベロッパーによる十階建でワンフロアに十所帯ずつの大型マンションだった。
とはいうものの、建ててから、既に年数が経過し、設備はやや古く、オートロックではなかった。
調べる限り、悪い噂は見つからない。

九階に住む十所帯のいずれかが元締めの住まいのはず。
どうしたら、その部屋を見つけられるのか。
いつしか、玲子は食卓にうつ伏せになり、寝ていた。

――――――――――

翌日の金曜日の十一時、玲子は、昨日に引き続き、三鷹のマンションの前にいた。
はす向かいのマンションの脇に佇み、玄関を監視した。
しかし、マンションに出入りする者は少なく、一方、彼女を怪しむ人たちは多い。

一時間ほど経過すると、玲子は思い切った。
九階の一軒一軒を訪ねて回ろう。
一か八かで遣り抜けば、なんか得るものがあるはずだ。これは、彼女がこれまでの会社員生活で身に着けた経験則でもあった。

玲子の乗ったエレベーターのカゴは九階に到着した。
扉が開き、外廊下に立った。
両脇に部屋が並んでいる。
さて、どちらから訪問するべきかと躊躇していると、右側の何軒か先の玄関のドアが開かれるのを見た。
「じゃ、失礼します」と挨拶する声が聞こえ、中年の男が出て来た。
男はかなり膨らんだ封筒を手にしている。
玲子は一瞬で確信した。
「あの部屋が元締めの家だ!」

男はエレベーターに向かって歩いてくる。
玲子は、踵を変えて、エレベーター乗り場の押しボタンの一階を押した。
中年の男が彼女のすぐ後ろに立った気配がする。
心臓がバクバクする。
その鼓動を男に気付かれないかと危惧すると、さらに心臓は大きく心拍する。
異様に長く待たされたように感じたが、実際は十数秒だったろう、やっとカゴが到着し、扉が開いた。
誰も乗っていなかった。
玲子はカゴに入り、一番奥まで歩き、奥を向いたまま立った。
男が続いて入って来て、操作盤の前に立った。
玲子は、ゆっくり振り返り、後ろから男の様子を窺った。
昨晩の小太り男とは明らかに違う。
中肉中背、茶系のブレザーにコットンパンツを身に着けた紳士風だ。
右脇に膨らんだ封筒を抱えている。
その封筒は、前日、玲子が三十万円を納めた封筒と同様に、とある銀行の名前が印字されていた。

カゴが一階に到着すると、男は玲子に「どうぞ」と先に出るように声を掛けたが、彼女は下を向いたまま、男が先に出るよう手で促した。
先に男を行かせなくてはならない。

あの九階の部屋に踏み込むのは警察の仕事だろう。
しかし、警察に依頼するには、もっと確実な証拠が欲しい。
男が持っている封筒は、たぶん、昨日、玲子が犯人たちに渡したものだろうと思うが、確実ではない。
銀行は、かなりの数の封筒を配布しているはずだ。
しかし、この男を追跡すれば、なにかを得られるはず。
昨日に続き、玲子は男の後に続いた。
しかし、この日は、エレベーターのところやカゴの中で男に顔を見られているかもしれないので、かなり距離をおいて追尾した。

男は三鷹駅で中央線の各駅停車の下りに乗り、国分寺駅で下車した。
南口を出ると、十分ほど歩き、クリーム色のマンションに入っていった。
玲子も少し間を取って玄関に入り、その先にあるエレベーターの前に移動した。
乗り場の押しボタンの表示灯を見たが、既にカゴは下がって来ており、男が何階に移動したのかは分からなかった。
玲子は、致し方なく、国分寺のマンションを後にした。

――――――――――

金曜日の昼、邦彦は、いつものように三鷹のボスのマンションを訪問した。
他愛のない世間話の後、ボスはソファのテーブルの端にあった大き目の封筒に三つの茶封筒を入れ、邦彦に手渡した。
「今週も宜しくな」
ボスの一言で邦彦は席を立ち、部屋を出た。
エレベーターで三十半ばに見える、長髪の女が目を合わせるのを避けるためか、ぎこちない動きをしたが、特段、気に留めなかった。
三鷹のマンションから帰路は、どこにも寄らず、国分寺のマンションに真っ直ぐ戻ることにしている。

どんな仕事でもそうだろうけど、稼ぎを手にする時が最高の瞬間だ。
特に、この日、僕は久しぶりに大きな金額を得られたので舞い上がるような気分だった。


しかし、僕以上に高揚していたのは良治さんだ。
「これから飲み行くか。おごりまっせ」
彼から半年ぶりの誘いだった。
僕達は仕事場では飲むことはしないが、外に出れば違う。
この日は国分寺駅南口の地下にある居酒屋で飲むことにした。ここは昼から飲める。
いつものように、マンションからは時間差で出た。
まずは良治さん。
十分後、邦彦さんが出て、また、十分後、僕が出て施錠する。
その日、僕達はたらふく食い、湯水のように酒を飲んだ。珍しく三人とも酔っぱらい、僕は店を出て直ぐに吐いた。

――――――――――

玲子は、翌日の土曜日、そして、日曜日とも三鷹国分寺のマンションを訪れてみたが、新しい発見はなかった。

この間、警察に対し、さらに三十万円を騙し取られたこと、犯人と思われる男達を追尾し、二つのマンションを突き止めたことについて情報を入れた。
例の婦警は電話口で話を聞いてくれたが、まずは警察に連絡を入れること、自身で対応することは危険なので止めることなどを告げた。
その後、こちらを訪問して情報を確認に来るなどといった特段の動きはなかった。

玲子は、翌日の月曜日から会社勤めに戻った。
休んだ前週に溜まった仕事をこなすため、連日、帰宅は午前様となった。
母親には不明な電話には出ないこと、何かあったら、玲子の留守電に伝言を入れておくように強く言った。
その一週間、良子からの留守電は入らず、電話も掛かって来なかった。
多忙な時間を割き、玲子は、時々会社から電話を入れ、安否を確認した。元気か、何か変わったことはないかを確認する程度である。
良子は相変わらず元気はないが、無事の様子だ。
しかし、玲子の心は逆に落ち着かない。
また騙されてはいないだろうか、更には犯人が実家に押し寄せ、金品を強奪しているのではないか。
思いを馳せれば馳せるほど、不安は高まった。

玲子は翌週から、とりあえずの間、青梅の実家から通勤することにした。
同居しても良子の様子を窺えるのは、早朝と深夜だけであったが、それでも安心できた。


しかし、近くで過ごす時間が増えると、良子の言動に認知症の兆しを確実に感じられるようになった。
中空をぼーっと見つめたり、同じような話を繰りかえすことがある。
そして、しばしば、かなり重い症状を見せることがある。「貴志はいつ帰って来る?」と脈絡なく、突然に尋ねて来るのだ。

五年間も行方不明だった息子が泣きながら助けをを求めて来た。母親としてできることは何でもしたい。
夫が残してくれ、大事に貯金してきた保険金であるが、窮地に至った息子を助けるために使うことを亡き夫も理解してくれるはず。更に息子は実家に戻って来てくれるという。
こんな思いの末に、大金を渡すと、実は詐欺だったことが露呈した。
貯金のほとんどをなくし、息子は相変わらず、行方不明のまま。

ここ数週間の出来事が強烈な心的ストレスとなり、認知症を悪化させているのか。
急ぎ病院へ連れていかねば、と玲子は思った。

火曜日、会社の休み時間に青梅警察署に連絡を入れ、捜査状況を尋ねたが、進展はなく、三鷹国分寺のマンションにも捜査の手は入っていないとのことだった。
確たる証拠がないということだろうか。
やはり自身で状況を打破するしかないのか・・・。

その週の金曜日、玲子は休暇を取った。
午前中、青梅駅の二つ向こうの河辺駅近くの青梅市立総合病院へ母を連れて行き、神経内科で検査を受けさせた。
結果は翌週に出るという。

その日の午後、玲子は意を決し、国分寺のマンションに向かった。
前々週、例の紳士風の男が三鷹から国分寺に移動して来た時間を狙って、国分寺のマンションの前でその男の登場を待った。
何故か分からないが、確信めいたものが心にあった。
あの男は必ず来る。

すると、どうだ、あの男が前回と同様の洋服を身に着けて現れ、マンションの玄関に入って行くではないか。前回とは異なるものだが、似た大きさの封筒を手にしている。
この日の玲子は、髪を上げたり、メガネを掛けたり、更には、パンツルックと前回とはかなり異なる恰好をしていたので、躊躇なく、男に続いてエレベーターのカゴに乗り込んだ。
男は3階で降り、玲子も続いて降りた。
男が左手方向に歩き始めたので、彼女は男に背を向け、右手に歩いた。
そして、背後でドアが開く音がするや、おもむろに振り返り、男が一番奥の部屋に入りつつあることを見た。
少し間を取った後、その部屋が305号室であることを確認した。
表札は掛っていなかった。

玲子は地元に戻り、青梅警察署に向かった。
婦警とその部下と思われる若い警官に、ここ数週間の出来事を一気に話した。
若い警官は不機嫌そうに調書にボールペンを走らせ、一言も発しない。
一方、婦警は静かに話を聞いてくれ、時々、質問もしてくれた。
話を終えると、婦警が言った。
「これからは警察の仕事です。戸田さんは、二度とそのマンションに近づくことはしないでください。私達にお任せください。」
「宜しくお願いします」
玲子が帰ろうと、席を立とうとした時、若い警官が初めて口をきいた。
「憎いのは分かりますが、素人のおばさんが犯人の近辺をウロウロするなんて、危なくてしょうがねぇ」
信じられない発言に玲子は一瞬、当惑したが、直ぐに怒りで身震いした。
婦警が若い警官を強くたしなめたが、玲子の気持ちは収まることはなかった。

翌日の土曜日、玲子は国分寺のマンションを目指した。

――――――――――

普段なら土曜日は休みだ。
しかし、僕は新しいシナリオを書くため、その日の午後、国分寺のマンションに居た。


誰もいない部屋での執筆は集中できる。
自分の机に向かい、夕刻まで数本のシナリオを書き上げた。
しかし、どれも似たり寄ったりの筋と展開である。
まあ、僕達のシナリオの出来映えは、面白味ではなく、いかにリアリティを保持し、お客様の心を揺さぶり、その気持ちをグイグイと掴むかにあるので、そうなっても致し方ない。

書き終えた後、僕は解放感に浸りたくて、部屋の黒い遮光カーテンを半分ほど開けてみた。この部屋で仕事を始めてから、初めてのことだと思う。
部屋の照明は点いたままだが、西日が入って来て、いつもの部屋の雰囲気とは全く違う。


部屋の埃がキラキラと反射している。
「もう少し書くか」、僕はカーテンを閉め、また、机に向かった。

――――――――――

玲子は、国分寺のマンションに着いた。
目指すべきは305号室である。
しかし、この時間、犯人がいるかどうかは分からない。
玲子は、マンションから少し離れた位置に立ち、遠目からその室を見上げた。
部屋の窓はカーテンが下されていて、中の様子は窺えない。

しかし、30分ほど見つめていると、その部屋のカーテンが半分ほど開かれ、少しすると閉じられた。
「犯人がいる!」
玲子は恐れを感じず、マンションの玄関を目指し、力強く歩み始めた。

玲子は、うつむき気味に305号室のテレビドアホンのボタンを押した。
間の抜けたチャイムが鳴った。
「・・・、はい」
やや間があった後、若い男の声がした。
彼はドアホンの画面でこちらの様子を見ているはずだ、うつむいたまま玲子は言った。


「すみません。隣の者ですが・・・」
「・・・」
「隣に住む遠藤です」
玲子はとっさに出まかせを言った。
「はい。少しお待ちください」
「申し訳ございません」

ドアが少し開いた。
玲子は、ドアの隙間に自身の体を無理やり滑り込ませ、玄関の中に入り込んだ。
「なんだ? 誰だ、あなたは!」
男が少し怯えながら叫んだ。
玲子は頭を上げ、男と目を合わせた。
そこにいたのは、五年前に家を出た貴志だった。

二人はダイニングテーブルに向かい合わせて座り、玲子は貴志をなじり続けた。

「お母さんが詐欺にあって、犯人を追いかけて来たらたら、この部屋だった」
「なぜ、お前がこんなところにいるのか」
「まさか、お前も詐欺を働いているのか」
「親や家族に話せることか」
「ひと様の金を詐欺して良心の呵責はないのか」
「親の金をむしり取る悪行」
「すこしの言い訳もできない犯罪」
「今からでも遅くない、まっとうな仕事に付け」
「母はショックで認知症が出始め、かなりひどい状態になりつつある」
「実家に顔を出し、安心させてやれ」
「まずは、自首しろ」
玲子は休むことなく、言い続けた。

久し振りに聞く、姉の声だった。
僕は五年前、一浪の末に三流大学の国文科に入学した。漠然と物書きになりたいという気持ちがあった。
しかし、期待に反し、つまらぬ授業ばかりのため、欠席が続き、結果、一年生の半ばで中退した。
その後、家で無為な生活を続けている僕を姉は厳しく糾弾した。
既に会社員としてのキャリアを積み上げ、多忙な彼女と顔を合わせるのは、深夜や日曜日だけだったが、しつこくなじられた。
鍵のかからない僕の部屋に無断で入って来るなり、せっかく大学に入れてやったのに、相談もなく退学した身勝手さに呆れる、家に金を入れろ、バイトでもいいから仕事をしろ、できないなら、家事を手伝え等、言うことはいつも一緒だったが、言われるたびにイラついた。
それが嵩じ、半年後、軽い気持ちで家を出たが、姉から離れ、その解放感を覚えると、家に戻る気持ちは消え去っていた。
家を出てから二年間はパンを製造する工場でアルバイトをしていたが、三年前、高校の時の知り合いの紹介で今の仕事に就いた。

玲子の声は、相変わらず僕の心に触れることはなく、ただうるさい。
やり過ごすだけだ・・・。

30分ほど経つと、玲子は黙ってしまい、テーブルにうつ伏せになり、大きなイビキをかいて寝てしまった。
コーヒーの中に入れた大量の睡眠薬が効いたようだ。

第五章 また、僕の一週間が始まる

翌日の日曜日。
僕は、午後五時、小金井市M町の古びたアパートの一室を出た。
裏通りを歩き、武蔵小金井駅に着いた。
そこから中央線の下りに乗り、隣の国分寺駅で降りた。
南口にある大きなスーパーで、自身と仲間の一週間分の食料品を買った。
四つの大きなレジ袋に食材を詰め、駅から十分ほど歩いたところにあるマンションに向かった。
僕の一週間が、また始まった。

――――――――――

その翌日の月曜日、玲子の実家の電話が鳴った。
「玲子、また、貴志から電話なんだけど・・・」
良子が受話器を持ったまま、大声で叫んでいる。
その声が家の中に何度も響く。
しかし、玲子の返答はなかった。

(了)